全県実施切り開いた立役者
投票率だけではない。県民はぎりぎりのところで全県実施にこぎつけた。
まず、一旦は「賛成」「反対」の2択で決まった投票をひっくり返したのは、5つの市だった。いずれも自民党の応援を受けて当選した首長のいる自治体だ。不参加という形で、県民投票の正当性を失わせようとする動きだった。宮崎政久衆院議員が不参加をうながす指南書を配っていたことで、その後ろに政府の影を感じ取った人も多いはずだ。
全県の投票は無理かもしれないと、誰もが思いかけた。玉城デニー知事も「不参加でも実施する」として、全県での実施を断念するコメントをしていたのだ。ところが沖縄の若者はあきらめなかった。
「『辺野古』県民投票の会」の元山仁士郎代表が、ハンガーストライキで全県実施を訴えることで、状況をふたたびひっくり返したのだ。
ハンガーストライキをする元山さんの姿が報じられるにつれて、若者にそこまでさせていいのか、という声が広がる。それをきっかけとして公明党沖縄県本部の金城勉代表が動き、
自民党沖縄県連の照屋守之会長が3択の妥協案を呑むことにつながるのだ。
ところが3択でも自民党内からは異論が噴出した。実際、3択への条例改正案の決議では、自民会派の14人のうち賛成はわずか4人、その一方で5人が反対し、3人が離席、2人が欠席する。このため全会一致にはならなかったものの、不参加だった5つの市が参加に転じたことで、全県実施への道が開かれた。