コラム 穀雨南風⑧ ~ 心のバトン

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同じ歴史を背負う絆

 

なぜ照屋自民党県連会長は、3択を容認したのか。

宮崎議員の指南書で自民党県連が批判にさらされていたこともあるだろう。さらにハンガーストライキを機に、不参加を表明していた5つの自治体にも投票実施を求める市民たちの声が殺到していたこと、市民から訴訟の動きがあったことも影響したかもしれない。それでも多くの自民党県議が3択でも賛成に回らなかったことを考えると、それだけではないだろう。

話題になっているノンフィクションライター・石戸諭氏の「ニューズウィーク」沖縄ルポによると、照屋会長はハンガーストライキをした元山さんの携帯に電話をかけてこう言ったという。

「君の思いをくんだ。自分の責任で3択にしてでも全県でやるべきだと判断したよ」

自民党が割れた責任をとる形で、照屋会長は会長職の辞任届を出している。照屋氏は会長職を投げうっても、ハンガーストライキで全県実施を求めた「若者の思いをくんだ」のだ。

東京の自民党本部関係者はこの動きをこう評した

「あんな県民投票みたいなもんは、絶対ボイコットすべきだった。照屋の暴走、許せん」

 

立場は違っても、背負っている歴史は沖縄の人すべてに共通する。沖縄は本土決戦までの時間稼ぎのために捨て石にされ、本土が独立したあとも米軍統治下に置かれ、戦後も過重な基地負担を押し付けられてきた。政府がどんなに意のままに動かそうとしても、最後は同じ歴史を背負う絆に割って入ることなどできやしないのだろう。

そうした沖縄の心と言うべきものを、ハンガーストライキ以降の一連の動きのなかで強く感じた。政治的立場の違い、世代の違いを超えて流れる沖縄の心を、若者、市民、政治家が次々とバトンすることで、県民投票の正当性が失われるのをぎりぎりで回避したように私には思えるのだ。

結果を無効化しようとする声がどれだけ続こうとも、今回の県民投票は沖縄の新たなページを開いたものとして記憶されることになるだろう。

 【本稿はTBSキャスターの松原耕二さんが沖縄での経験や、本土で沖縄について考えたことを随時コラム形式で発信します】

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