数字に表れない沖縄の変化をどう紙面化するか
社説は、当該社の姿勢を表すものとして重要だが、読者への印象という意味ではむしろ、一般紙面の扱いが意味を持つ。
それからすると、県紙の場合はその多くを通信社の配信に頼って紙面作りをすることになる。それからすると、「反対派連勝も決め手乏しく」(山陰中央=島根)、「連勝も移設阻止は困難」(山形)といった、読者にとってマイナスイメージに取りかねない見出しが多かったのが特徴であるといえる。記事内容は同じでも、見出しが「『連勝』勢いに乗れるか」(新潟)や「移設反対派 楽観なき『連勝』」(高知)だと、だいぶイメージが違うだろう。
これは、社の姿勢もあるが、もともとの共同通信の記事内容に理由があるとはいえまいか。
思わぬところで、全国の自治体が持つ沖縄イメージが通信社に頼っている側面が見えたわけだ。
「辺野古阻止『長期戦に』」(神戸)や「反対派連勝も なお課題」(神奈川)あたりが、7割が反対という県民感情からすると妥当な気がする。前出の見出しでは、投票結果の評価や社説との食い違いを感じざるを得ないし、これこそが結果的に政府施策を黙認する日本社会全体の空気を作っている原因ではなかろうか。
最後にもう1つ。数字には表れない沖縄の変化をどう紙面化するかも、今後の本土の報道課題だろう。なぜなら、県内では何となく多くの県民が皮膚感覚で理解している「強くなった沖縄」が、本土の紙面からはなかなか伝わらないからである。2度目の県民投票であったが、前回の労組中心の運動から今回の主役は紛れもなく市民であった。また、名護の住民投票では賛成反対両陣営がガチンコの戦いをしたのが、今回は移設賛成派の不戦敗である。この歴史的な流れこそが、本土が沖縄状況を理解するための一歩だと思う。
【本稿は『沖縄タイムス』寄稿記事を転載しました】