北朝鮮危機と沖縄 抑止力の本質を問う

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北朝鮮の核・ミサイル問題が沸騰している。筆者が想起するのは、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画をめぐる2016年9月の福岡高裁那覇支部の判決だ。

「我が国で北朝鮮の弾道ミサイル『ノドン』の射程圏外となるのは沖縄などごく一部」
「埋め立て承認の取り消し」という行政訴訟の判決文に、なぜこうした政策的見解が盛り込まれたのか。グアムにも届く弾道ミサイルや大陸間弾道ミサイル発射が取りざたされる今、「ノドン」にことさら力点を置いて沖縄の「地理的優位性」を強調し、「辺野古以外にはない」と断じた司法への違和感は一層募る。

「地理的優位性」の幻想

だがこれは、米国の報復に期待する政府認識の反映とも受け取れる。『辺野古問題をどう解決するか』(新外交イニシアティブ編、岩波書店)で、元防衛官僚の柳澤協二は、日本の国土の一部を核攻撃されるリスクも、「報復の前提」として考量すべきだと説く。

「報復する米国の兵力は、相手の第一撃から隔離され保全されなければならない。それは、日本を守り切れないことを前提として、そのときに発動される力であるから、基本的には、米国の報復に依存することと、日本の国土を守ることとは両立しない」
米国の抑止力は一発のミサイルも着弾させないほど万能では有り得ない、というわけだ。しかも沖縄の「地理的優位性」は、仮想敵国が変われば一瞬で崩れる。

「相手を中国に置き換えた場合、米軍の兵力が集中する地域とは、すなわち沖縄であり、抑止が崩れて戦争となった場合には、沖縄がミサイル攻撃に晒されることになる」

アメリカ・ファースト

沖縄では軍事の専門家でない人も、米軍優先の矛盾を肌で感じ取っている。
沖縄県野球連盟会長の又吉民人は『琉球新報』(9月3日)コラムで、沖縄の米軍基地や日米地位協定に向き合う日本政府の対応は「日本と自国民の利益のため」なのかと疑問を呈する。

「沖縄にいて感じるのは、過重な基地負担に呻吟する県民の悲鳴に近い思いと意思表示に対し、政府の対応は『アメリカ・ファースト』ではないかということである」
米国にとっての抑止力とは何か。柳澤が直言するように「戦争に勝つためであって、日本の安全を直接の目標としたものではない」のであれば、日本は自国防衛にどう向き合うべきなのか。柳澤の論はシンプルだ。

「米国の抑止力に頼らなくても、相手に侵略の意図があれば日本が戦場になることに変わりはない。しかしそれは日本の戦争だから、日本自身がどこまで抵抗するかを決定することになる。これは、地政学的宿命ではなく、選択と覚悟の問題だ」
柳澤らが評議員を務めるシンクタンク「新外交イニシアティブ」(ND)は、抑止力の本質を見据え、海兵隊の運用次第で辺野古埋め立ては不要と提言している。

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