日常生活から見る沖縄の社会変容~外国人労働者編(上)

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食事メニューのご飯つき三種カレーセット(ネパールカナセット)は500円とお手頃で、去年、お昼時に筆者が訪れた時は日本語学校の男子学生と思われるネパールの若者たちと近くの会社の従業員と思われる日本人客合わせて10人ほどが食事をとっていた。また、故郷への送金所も兼ねているとのことで、一万円札を握りしめた若いネパール人女性が書類に必要事項を記入している姿も見られた。

カレーをほおばりながら会話している男性2人組に話しかけてみると、沖縄の日本語学校に入って二年、時には悪態をつかれて悲しい思いをしながらも居酒屋のバイトをがんばった事、美ゅら海水族館に行って楽しかった事など、様々な思い出を流暢な日本語で話してくれた。この場所には食事や食材を購入する時の他、同郷の人たちと話したい気分の時に来るという。単なる物品購入のためのお店というよりは異国の地で生活する緊張をほぐしながら情報交換するネパール人コミュニティの集いの場としての機能もあるようだ。

ただ、「ネパール人コミュニティ」といっても顔ぶれは短期間に大幅に変わっていく。日本語学校卒業後も、専門学校などへの進学などで引き続き日本に残る若者は多いが、多くは東京・大阪などの大都市圏の学校への進学を選ぶためだ。今回話を聞いた男性2人組も、一人は神戸、もう一人は千葉の専門学校への進学が既に決まっているという。当たり前のことだが大都市圏のほうが学校や企業の数や種類は圧倒的に多い上に、アルバイトの給与水準も沖縄より高額だ。経済的に豊かな暮らしを夢見る若者の多くにとって沖縄の日本語学校はいわば「通過点」にならざるを得ない。そういう意味では、日本語学校の学生を「長期間住んでいる人たち」という意味での「沖縄住民」と捉えることができるのか、微妙なところだ。

 東京より沖縄を選ぶネパール青年たちの登場

 ただ最近ではこうした「大都市志向」に少しずつ変化も出てきた。近年では日本語学校から沖縄の専門学校・大学に進学し、そのまま県内企業に就職するネパールの若者が現れている。沖縄労働局の「外国人雇用届け出状況」の最新統計を見ても、留学生アルバイトとしてではなく、労働ビザを取得した正規の「労働者」として働くネパール人の数は2014年の10人から2018年の163人へと増加している[3]

 なぜ賃金が高い大都市圏に行かず、沖縄で進学・就職したのか。「沖縄残留組」のネパール人の一人に話を聞かせてもらった。

 話してくれたのは「ラムちゃん」ことアチャルヤ・ラム・プラサドさん、25歳(以下ラムちゃんと表記)。


ネパール西南部の地方都市で育った彼は、2015年7月に沖縄の日本語学校に入学するため来日した。2年後、日本語学校を修了するにあたって彼は日本の専門学校に進学することにしたが、日本で進学する同級生の多くが東京など高賃金で華やかな大都市の学校への進学を決める中あえて沖縄のビジネス系専門学校を進学先に選んだ。その理由についてラムちゃんは次のように話す。

「先に沖縄から東京にいったネパールの人たちから、『東京は給料高いけど、生活するのが精神的にきつい』という話が流れてきたんです。生活にかかるお金が高いというだけでなく、職場の人間関係の面でも・・・。それだったら沖縄の方がいいのかなと。日本語学校にいたときのアルバイトの経験から、「沖縄の人はやさしいな」と思う時があったので。例えば、お弁当屋さんで働いていた時、一緒に働いていたおばちゃんたちが時々食事に連れて行ってくれたりとか・・・。」

 沖縄は給料は多少低くても、「人がやさしい」ので精神的なゆとりをもって生活ができる。ラムちゃん以外の「沖縄残留組」のネパールの若者からも同様な趣旨の話を聞く機会が多いので、「人のやさしさ」が「東京にはない沖縄の魅力」の一つとして感じられている事は確かなようだ。

 ただ、ラムちゃんの場合は今では沖縄に残るもっと積極的な夢がある。それは沖縄での芸能活動だ。実は冒頭で紹介した沖縄ファミリーマートに登場するネパール人店員役を演じたのがラムちゃんなのだ。進学先の専門学校を修了した彼は、現在、本島南部のホテルで働きながら沖縄の著名な芸能事務所「オリジン」所属のお笑い芸人「ラムちゃん」として活動している。

 もともと人前に出るのが好きで、高校生の頃は学園祭的なイベントでステージに立つことも多かったラムちゃん。たまたまアルバイト先のドラッグストアで同じようにアルバイトをしていた「オリジン」所属の芸人に誘われて面接を受けたところ見事合格。3か月間の稽古を経て、昨年2月からピン芸人として毎月ある「オリジン」の定期ライブの舞台に立っている。観客受けも上々で、今では観客による投票で決まる人気ランキングでも上位に位置する人気者だ。沖縄のテレビ番組にも頻繁に登場するようになって知名度があがり、警察から一日警察署長を委嘱されるまでになった。

「『沖縄にはお笑い文化がない』とずっと思っていたんですね。それが『オリジン』に入っていろんなタイプのお笑いがある事がわかってすっかり夢中になってしまって。「オリジン」の人たちもみんなやさしいし、今とても充実しています。」と目を輝かせながら話すラムちゃん。

沖縄の日本語学校に大勢のネパールの若者が入学するようになって10年足らず。さすがに「お笑い芸人」は今のところラムちゃんしかいないが、多くの若者が日本語学校在籍中だけ沖縄にいる比較的短期の滞在者から本格的に沖縄に腰を下ろした「沖縄住民」になり始めている。すでに沖縄の女性と結婚した人も出ている。縁あってヒマラヤ山脈の麓の国から若者たちが来訪して根付くことで、沖縄はその多様性をさらに増し、一層魅力あふれる島になってゆくかもしれない。

しかし、そうなるためには課題もある。それは「外国人住民」を地域社会に公正に「包摂」してゆくことを目指した公的・市民的な取り組みの遅れだ。

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