なぜ普天間の「高知移設案」は幻に終わったのか【下】

この記事の執筆者

玉城デニーは候補地とされた高知県南西地域を視察していた

ほとんど知られていないが、実は2016年2月、現沖縄県知事である玉城デニーが衆議院議員のとき、平野から高知県南西地域への移設計画があった話を聞き、「沖縄に集中する基地を県外に移そうとした経緯を検証したい」との本人の強い要望により現地を視察している。

この様子を玉城デニー知事が誕生した直後の高知新聞の2018年10月9日夕刊コラム欄が「三原のデニー」と題して掲載している。コラムによると三原村議らの案内で現地を訪れた玉城デニーは、現地を見ながら「普天間基地をここに移せ、なんて生臭い話じゃないんですよ」と断った上で、「政府が言うように移転先は本当に辺野古しかないのか。県外移設の経緯(沖縄に集中する基地を県外に移そうとした経緯)を明らかにすることが、国民に必要な『気づき』になると思うんです」、「基地問題は高知を含めた国民全体の問題ですよ」と力説したという。

玉城デニーが現地を視察した時期と同じ2月14日、ロワジールホテルで平野と生活の党小沢一郎は、県民ネット5名の県議(玉城満・奥平一夫・山内末子・新垣清涼・瑞慶覧功)と、当時玉城デニーの事務所所長であった平良昭一で意見交換会をしている。

 平野によると、午後5時から1時間は平野が説明、高知県西南地域への普天間飛行場移設計画や橋本首相・小沢党首との会談の経緯などを、当時の新聞記事などを参考に説明を行ったという。「県民ネット」のメンバーが「こんな合意があったなんて信じられない」と驚いていたという。

後から合流した小沢に、平野は「第1点に、この合意は現在も政治的に生きているかどうか。第2点は、小沢さんが沖縄基地の移設・縮小を法律で決めると主張したのは事実かどうか」を確認したところ、小沢は「あの合意があったからこそ特措法改正案が成立し、日米関係も致命的にならず、沖縄の混乱も避けられた。合意は生きており、沖縄米軍基地問題解決の基本理念だ。基地の移設や縮小などを法律で定めろとも主張した。合意文に法律化という言葉はないが、意味は同じだ」と述べたという。「県民ネット」の一同は、この時期「法で沖縄米軍基地の縮小・移転を定めよ」と主張する政治家が日本にいたことに言葉もなかった、と平野は述べている。

当時の翁長雄志知事はこれらのことを知っていたのだろうか。

2017年2月24日、平良昭一県議が、県議会で「政府は、辺野古が唯一の解決策と思考停止の状態が続いており、沖縄の民意、デモクラシー、立憲主義、人道主義などあらゆる観点から考えても安倍政権の辺野古沖への強行移設は明らかな誤りである。過去には、沖縄米軍基地移設を前提としたPKO訓練センターが、高知県西南地域で浮上し、衆議院予算委員会で議論されたこともあった。国際貢献を通じて地元を振興させようという理念で推進してきたが、結果的には実現できなかった。沖縄の負担軽減で動きがあったのは事実であり、結果的には実現できなかった。政府の本気度はまだ足りない。十分な議論も尽くさずに辺野古が唯一だというのは納得がいかないし、なぜ日本政府は辺野古が唯一にこだわっているのか、その点に関し知事の見解を聞きたい」と質問している。

この質問に対して、謝花副知事が、「政府がこだわる理由としては、梶山静六氏が官房長官であった当時の書簡で、『本土の反発が予想されることを理由に辺野古移設しかない』との考えを示していたことや、森本元防衛大臣が、平成24年12月の記者会見において、『政治的に許容できるところが沖縄にしかない』などと述べたことなどにあらわれているように、県外の反発を恐れ、県内移設ありきで物事を解決しようとしていることによるものだと考えております。政府においては、辺野古移設が唯一の解決策との固定観念にとらわれることなく、安全保障の負担は全国で担うべきとの認識のもと、普天間飛行場の早期返還に取り組んでいただきたいと考えております。」と答弁している。

高知県西南地域への移設計画を知っているかという質問ではなかったので、この計画について言及しておらず、県民ネットのメンバーが平野から入手した資料を翁長知事に渡すなどして、翁長事も高知県西南地域への移設計画や小沢・橋本合意文書の意味を知っていたのかどうかは定かではない。

この記事の執筆者