沖縄のメディアは6月に入ると、沖縄戦の連載や企画に精力を注ぐ。ピークは「慰霊の日」の23日だ。
だが、今年は少し様相が異なる。コロナ禍のせいだ。地元紙も連日、新型コロナに関する記事を大きく取り上げ、鎮魂ムード一色という情況ではない。
東京や大阪が第四波のピークを脱した六月に入っても、沖縄では感染者増が続いた。医療がひっ迫し、観光業界は従業員の大量解雇に踏み切った。小中高校は6月20日まで休校した。まさに現在が「有事」になった。
沖縄の感染拡大にはパターンがある。海を隔てた県外からウイルスを持ち込む「移入例」が感染率上昇の引き金になっているのだ。
全感染者に占める移入例の割合は年末年始に11%まで膨らんだ。このうち、6割強が東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県からの来訪者だった。こうしたデータをもとに、沖縄の医療専門家は4月の大型連休前に、「緊急事態宣言発令中の4都府県からの人の流れを止める必要がある」と提言した。しかし有効な手を打てず、大型連休以降に感染者が急増。それでも県は当初、緊急事態宣言の発出要請にはなかなか踏み切れなかった。背景には経済界の反発があった。自公政権に近い知事であれば、もっと容易に経済界の理解を得られたのでは、との見方もある。
そんななか、自民党の細田博之元官房長官の発言が出た。沖縄県の新型コロナ対策をめぐり、「国に頼るなんて沖縄県民らしくない」「バカじゃないか」などと罵ったのは、細田氏本人の釈明によると、「沖縄独自の制度を打ち出して、財政措置を国に求めれば水際対策ができる。国に丸投げするのは駄目という激励の意味だ」という。
基地建設のため全国から機動隊を沖縄に派遣する政府が、コロナ禍の対策は「国に甘えるな」とはねつける。いま手を差し伸べないで、一体いつ「沖縄に寄り添う」というのか。五輪開催を止められない政府・与党にこそ、「バカにするな」と言いたいのは私だけではないだろう。それはともかく、沖縄は国に丸投げしたのか。
県は水際対策の重要性を認識し、沖縄に入る前にそれぞれの出発地でPCR検査実施を徹底する制度の担保と予算確保を国に繰り返し求めてきた。それを国が認めなかったため、県は2月3日から那覇空港でのPCR検査を始めた。これも現行制度の下では、希望者に任意で検査を受けてもらう、ことしかできない。
沖縄の友人は細田氏の弁について「こういった経緯を知らない発言で無責任だと思った」と言う。そして、こんな思いを吐露した。
「これが沖縄政策を長く担当する政治家や官僚の本音。寄り添うと言いながら、心の底ではバカにしている。結局は国に頼らないと何もできないと見下している」
出発地での事前検査について西村康稔経済再生担当相が関係省庁と「相談したい」と言及したのは6月17日のことだ。
コロナ対策経費で財政調整基金がほぼ底をつく見通しのなか、県は新たな沖縄振興計画の素案に「国への貢献」を強く打ち出した。政府に制度継続の承諾を得るのに必要と判断したからだ。私には、沖縄が「アメとムチ」に絡め捕られているようにしか映らない。
「慰霊の日」に話を戻そう。本土のほとんどの人が意に介さないこの日、沖縄では早朝から多くの人が各地で鎮魂の祈りを捧げる。平和への願いは本土に届くだろうか。
沖縄と本土の分断の根っこは76年前にさかのぼる。
1945年6月25日。大本営が「全戦力を挙げて最後の攻勢を実施せり」と発表すると、それまで派手に書き立てていた本土の沖縄戦報道がピタリとやむ。8月15日以降は「戦後」が始まり、「沖縄」が本土メディアに取り上げられることはほとんどなくなった。
国防と「癒し」の島として利用し、本土の役に立たなくなれば切り捨てる。今、同じことが繰り返されていないか。
【本稿は6月23日付東京新聞夕刊の原稿を一部修正の上、転載しました】