今年の「慰霊の日」近辺は慌ただしかった。6月22日は茨木市議会を傍聴し、「沖縄戦戦没者の遺骨等を含む土砂を埋立てに使用しないよう求める意見書」が全会一致で採択される現場を見届けた。
6月23日は急遽上京し、茨木市の山下慶喜市議らの呼びかけにより、全国の市民派地方議員の方々の賛同で作って下さった要望書を防衛省・内閣府に手交する直接行動に参加(その内容は山下議員のブログを参照)、その後は参議院会館での記者会見と、「具志堅隆松さんのハンスト行動に連帯する東京行動」の院内集会に臨んだ。
「遺骨土砂問題」という現在進行形の課題に取り組みつつ、沖縄戦という歴史にどう向き合えば良いのか? そんなことを落ち着いて考える間もなく地元にとんぼ返りした後、「全国75.5%の人たちが沖縄慰霊の日を知らなかった」との沖縄タイムスの記事を読んだ。
記事では、沖縄戦のことを「学んだ記憶がない」「学んだかどうか分からない」とする人は半数を超え、直接話を聞いたり現地を訪れたりしたりする経験が沖縄戦への認知度に大きな影響を与えることも指摘されていた。
この記事から、コロナ禍において沖縄戦を継承することがいかに困難な状況にあるか、まざまざと伝わってきた。修学旅行等でヤマトから沖縄に訪れることが困難な今、沖縄現地で話を聞いたり戦跡を訪問したりする学習は現実的ではない。そもそも教員の中にも沖縄戦に関してほとんど知識がない人が少なくないとすれば、修学旅行のような動機付けがない限り、とりわけ沖縄戦を教えようとも思わないだろう。この状況を放置すれば、沖縄戦に対するヤマト・沖縄間の認知面での分断は、ますます広がる。その危機感が高まった。