不毛な「NATO並み」論議
日本政府は安保改定以来、日米地位協定が「NATO並み」の内容だと主張してきた。そのせいで、同協定を批判する議論はどうしても、NATO軍地位協定と比較して、どれだけ日米地位協定が不平等な内容かを強調しがちだ。最近では、フィリピンや韓国の地位協定と比較しても、日米地位協定の方が不利だという議論もある。
こうした議論が、日米地位協定の改善や改定につながるかは疑問だ。各国の地位協定は、国ごとの歴史的または時代状況的な文脈において締結され、改定されてきた。個別に異なる背景を無視して、単純に有利、不利を比較しても改定実現の道筋は見えない。
たとえば、日本やドイツと同じ敗戦国といっても、イタリアは、1947年に連合国軍による占領が終了して主権を回復し、NATOが設立された1949年には、ほかの加盟国と対等な立場でNATOに参加した。
対照的に、ドイツの場合には、連合国軍がドイツを東西に分割して占領した状態で、1955年に西ドイツがNATOに加盟している。当時、西ドイツに駐留していた米国、イギリス、フランスの軍隊は、占領軍であると同時に同盟軍としてひきつづき西ドイツに駐留した。
日本の場合も、主に米軍による占領を終了する条件として、日米安全保障条約の締結と米軍のひきつづきの日本駐留を受け入れた。
同盟加盟時に占領状態にあったかどうかの違いから、イタリアは、ドイツや日本と比べて自国に有利な地位協定を有している。
多国間同盟と二国間同盟の違い
だが、西ドイツと日本との間にも、二つの大きな違いが生じた。
一つには、同じ占領状態での同盟締結にもかかわらず、西ドイツが結んだ地位協定の方が、日米地位協定と比べて、受入国の利益を守る内容となっている。
たとえば、西ドイツが1950年代に締結したNATO軍地位協定・補足協定では、駐留軍に対する軍用地の提供・返還条件が詳細に定められた。日米地位協定には、同様の規定は存在しない。
これは、西ドイツのNATO加盟に先立って、欧州防衛共同体(EDC)構想が議論されていた関係で、駐留軍用地の提供・返還に関する西ドイツの国内法が制定されたことによる。そのため、補足協定の軍用地提供・返還規定も、西ドイツの国内法に準拠した内容となった。
米国の同盟国である前に、西欧諸国の共同体の一員であったことが、西ドイツの利益にある程度配慮した地位協定につながったのだ。