繰り返される歴史~名護市長選と米軍再編交付金~

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『「アメとムチ」の構図』『呪縛の行方』

 

渡辺豪『「アメとムチ」の構図―普天間移設の内幕』(沖縄タイムス社、2008年)と、琉球新報社『呪縛の行方―普天間移設と民主主義』(同社、2012年)は、小泉内閣が米軍再編計画の中で、既存の辺野古移設案や北部振興策を破棄し、新方針を沖縄側に受け入れさせるまでの過程を検証している。

橋本内閣やその次の小渕恵三内閣は、沖縄側の意思を尊重する形式を重んじ、北部振興策は普天間移設とは無関係という建前をとっていた。稲嶺恵一沖縄県知事や岸本建男名護市長も、小渕氏ら「経世会」(田中派の流れをくむ自民党派閥)の政治家を信頼して、条件闘争と引き換えに辺野古移設を受け入れたのだった。

これに対して、「角福戦争」を展開した田中派の宿敵、福田派の「清和会」に属する森喜朗首相とその後任の小泉首相には、戦争体験などに基づく沖縄に対する「思い入れ」が一切なかった。とりわけ小泉内閣は、「沖縄にもう甘い顔はしない」(担当閣僚)との姿勢で臨み、基地政策とは無関係という位置づけで交付してきた北部振興策を廃止し、振興予算と辺野古移設の進捗をリンクさせる米軍再編交付金に切り替えた。

こうした流れの中で、辺野古移設を条件付きで容認した稲嶺知事や岸本市長、その後継の島袋吉和市長のスタンスを一括りにして「沖縄の金権体質」と決めつける風潮が政府・官僚内部に芽生え、それがやがて一部の在京メディアなどにも定着、浸透していく。

 

「アメとムチ」への回帰

 

ただし、『「アメとムチ」の構図』は、米軍再編交付金の創設が地元に与えた衝撃の大きさと合わせ、それ以前の、「辺野古移設」容認の見返り的色彩の濃いさまざまな国の利益誘導政策が、北部の土建業者を「振興策漬け」にしてしまった実態も浮かび上がらせている。

振興策漬けになったのは地元企業だけではなく、地元市民の間にも、振興予算に依存した行政まかせのまちづくりを許容する空気が共有されていった。稲嶺市長の28年間はこうした体質から脱却を図り、財政状況の改善にも取り組むものだったが、辺野古新基地建設が止められない事実や、政府との対話が閉ざされていることに「閉塞感」を抱く市民も少なくなかった。

こうした中、今回の名護市長選で、安倍内閣から全面的な支援を受けた渡具知氏は、米軍再編交付金を市の振興に活用すると繰り返し主張した。

辺野古移設工事を推進する北部地域振興協議会が、名護市内で1月30日夜に開いた新年会には、移設工事を受注する大成建設など大手ゼネコン関係者、名護市内建設会社の幹部、沖縄防衛局の中嶋浩一郎局長、そしてタスキをかけた渡具知氏など、百数十人が参加した。渡具知氏はこの場で、「行政は企業を育てる使命がある。最後までご協力を」と呼びかけた(2018年2月7日の沖縄タイムス)。

政府は渡具知氏勝利の翌日、稲嶺市政誕生以来、名護市に交付しなかった米軍再編交付金を、2017年度分から再開するための調整を開始した。加えて、稲嶺市政8年間に交付されなかった135億円に相当する額を、名護市が受け取れるようにするという(201826日の沖縄タイムス、朝日新聞朝刊)。

歴史が繰り返されるのは、記憶の忘却によってではなく、政府が「辺野古移設」という国策遂行のため、長い年月をかけて地方自治を歪めた結果なのではないか。

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