見失われる大局観

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「移設容認の民意が示されたとは思っていない」

 

1997年の海上ヘリ基地をめぐる市民投票以降、名護市民は選挙の度に共同体が二分される過酷な状況におかれてきた。今回の選挙結果について、移設阻止が見えない中で「辺野古疲れ」が指摘されるのも無理はあるまい。

一方で安倍晋三首相は今回の選挙結果について、「沖縄の風向きは変わった」と述べたが、果たしてどうであろうか。新聞社の出口調査によれば、今回の選挙でも辺野古移設反対は6割前後に上る。

何よりも当選を果たした渡具知武豊氏自身が、辺野古移設について選挙中には徹底して言及を避け、そして当選後には「(選挙で)移設容認の民意が示されたとは思っていない。私の支持者にも移設反対の人がいて複雑な民意だ。(政権とは)一定の距離は常に置きたい」と語っている(『毎日新聞』201824日)。

また、同氏を推進した公明党とは、海兵隊の県外・国外移転を盛り込んだ政策協定が結ばれている。正面切っての国との対決ではなく(対話を拒んでいるのは政府与党の側なのだが)、話し合いによって問題解決の方途を探って欲しいというのが、今回の市長選挙で示された民意の集約点だと見ることも可能であろう。

 

「辺野古隠し」のリスク

 

これに対して、辺野古移設を主導してきた菅義偉官房長官は、「選挙は結果がすべてではないか。相手候補は必死に(辺野古沖の)埋め立て阻止を訴えたのではないか。住民が選ぶのが民主主義の原点だ」と記者会見で述べる(『産経ニュース』201828日)。仮に渡具知候補も懸命に辺野古移設の必要性を訴えたのであれば、菅氏の見解も説得力を持つのであろうが、現実はそうではない。

「辺野古隠し」が徹底された今回の市長選挙によって、辺野古移設計画は、その政治的正当性をしっかりしたものとする機会を逸したと見ることもできよう。政府与党幹部が、辺野古移設が「唯一の解決策」だと本当に信じるのであれば、政治家の信念をもって、それこそ必死に名護市民を説得すべきであった。そのような机上の空論は、現実的な選挙戦術が分かっていないと一笑に付すかもしれない。

話しはまったく飛ぶが、米下院では今月7日、民主党下院トップのナンシー・ペロシ院内総務が、実に8時間7分に及ぶ長時間の演説を行った。トランプ大統領が救済措置の撤廃を表明した不法移民の保護を訴える内容で、休憩もなしにつづけられた演説は、下院で記録に残る1909年以降では最長だという。事の内容は別としても、政治家が持つべき信念と役割というものを、改めて思い起こさせるニュースであった。弁舌と議論による説得を放棄するのであれば、政治家の存在意義は果たしてどこにあるのだろうか。

政府与党が「唯一の解決策」を繰り返すだけでその根拠を説明せず、県の反対を押し切り、対話も拒む形で工事がこのまま進めば、仮に辺野古新基地の完成にこぎ着けたとしても、沖縄の異議を省みずに強行された新基地建設という負の刻印だけが永久についてまわることは避けられない。「辺野古隠し」がもたらすリスクである。

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