見失われる大局観

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見失われる大局観

 

新聞報道では、今秋に予定される沖縄県知事選挙に向けて、今回の選挙結果が翁長雄志県知事にとって大きな打撃になったことに焦点があてられている。政局報道としての焦点は、確かにそこにあるのだろう。

一方で、県の反対を押し切って辺野古での移設工事がこれからも日々進められることに対して、やむを得ないという意見はあっても、それを快く積極的に受けとめる県民はごくわずかであろう。また、同じような強硬策が、たとえば沖縄に次いで米軍基地が集中する菅長官のお膝元、神奈川県でも遂行されるかといえば、疑問であろう。明確な説明なしに辺野古新基地建設の既成事実化を図るのが政府与党の現在のアプローチだが、それが「なぜ、沖縄だけ?」という疑問を増幅させてきた。

加えて、県内各地で相次いでいる米軍機による部品落下や不時着といった事態に対して政府が形ばかりの対応しかとれないとなれば、行き場のない県民の不満は静かに、しかし確実に蓄積されていくであろう。それは言い換えれば、沖縄の米軍基地をとりまく政治的環境の静かなる不安定化である。

「そもそも県内に新たな米軍基地をつくろうとしたのが間違いだった・・・沖縄の基地問題は時限爆弾のようなものだ」(ジェラルド・カーティス・コロンビア大学教授〔当時〕)というアメリカを代表する日本専門家の「予言」が将来的にあたるのかは別としても、沖縄の米軍基地を取り巻く政治的な不安定さは、日米安保体制の将来にとって、潜在的な、しかしきわめて大きなリスクであることは間違いあるまい。

過去において、そのようなリスクが現実のものとなったのが、1995年におきた少女暴行事件であった。噴出した沖縄の憤りを鎮め、日米安保体制を安定化させるために打ち出されたのが、日米両政府による普天間基地返還合意に他ならない。

それが20年あまりを経て、膨張した代替施設の建設強行が、沖縄の米軍基地を取り巻く政治的環境の不安定化をもたらすという、当初の目的とは逆の事態になっている。新基地建設が自己目的化し、翁長県政との対決で勢いづくあまり、政府与党が大局観を見失っていないか、危惧の念を抱く。

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