コラム 穀雨南風 ①~「パンとサーカス」

この記事の執筆者

支配層のメンタリティー

 

もうずっと昔のことになるけれど、受験のとき先生に言われた言葉を思い出す。

「いいか、難しい問題に時間を取られてはだめ。難しい問題には深入りせず飛ばして、簡単なものから手をつけること」

私は今は大学入試センター試験という名前になった共通一次試験元年の世代だ。たくさんの問題をマークシート方式で次々と解いていかなければならない。途方にくれて、結局それに適応できなかった私は私立大学に行くしかなかったけれど、教師から「いい点を取るためには、難しい問題は飛ばすこと」という教えを、何度聞かされたかしれない。もちろんそれは共通一時試験だけでなく、各大学の2次試験にもあてはまる。

ふと今の日本を見回すと、政治家や官僚たちはこの教えを、誰よりも忠実に守っているように見える。受験戦争では勝ち組だったであろう彼らの多くには、身についた習慣となっているのかもしれない。

1000兆円に膨らんだ借金はどこ吹く風、どう考えても限界に来ている社会保障も微調整に終始する。行き詰まっている原発政策も様子見を続け、少子高齢化については縮小する社会を直視するどころか、未だ成長、成長と昔ながらの発想から抜け出せないように見える。

沖縄の問題も同じだ。地元の世論調査で辺野古移設反対の声が多くとも、政府は「唯一の解決策」と繰り返すばかり。沖縄から最も切実な声が上がる日米地位協定の改定についても、アメリカと本気で交渉しようという気概などとうに失ってしまっているように見える。政治家も官僚もだ。度重なる米軍機の不時着や部品の落下が続いても、形だけの抗議をして見せるだけだ。アメリカと真剣に向き合うことが、まるで決して触れてはいけないタブーであるかのように。

「ぼくは沖縄の問題を考えたくない。解決できないものは考えてもしかたがない」と言った学生は素直な気持ちで言ったに違いない。彼の鋭利な思考の結果、導き出された答えを正直に口にしたにすぎないのだろう。

ただそれが私の心に残ったのは、今の日本の支配層のメンタリティーとあまりに符合しているように思えたからだ。

難しいものは、できる限り先送りする。あるいは見て見ぬふりをするか、なかったことにする。

国民にそれを意識させないよう、楽観的な空気にする仕掛けもつくる。たとえばアベノミクスをパンとすると、東京五輪はサーカスと言ってもいい。どう見てもリスクが膨らんでいる大規模な金融緩和をまだ店じまいする気はないようだし、再来年のオリンピックが近づくにつれて、何はおいてもまず皆で成功させようという同調圧力が高まっていくだろう。しかもすでにそのあとのサーカス、つまり大きなイベントを探す動きもあると聞く。

目先のパンとサーカスは、いっとき難しい問題から国民の目をそらす効果は発揮するかもしれない。しかし祭りは必ず終わる。まだ誰も経験したことのない困難な時代を乗り切る構想は、パンとサーカスの政治と決別し、目をそらしてきた現実を直視することからしか始まらないのではないだろうか。

 

【本欄はTBSキャスターの松原耕二さんが沖縄での経験や、本土で沖縄について考えたことを随時コラム形式で発信します】

この記事の執筆者