翁長知事、四度目の訪米
2018年3月11月から16日にかけて、沖縄県の翁長雄志知事は、アメリカの首都ワシントンDCを訪問した(途中サンフランシスコを経由)。普天間基地の名護市辺野古への移設計画に反対する翁長知事にとって、2014年の知事就任以来、四度目の訪米である。翁長知事は、アメリカの政府や社会に直接働きかけることを辺野古移設阻止のための戦略の一つにしており、これまで訪米を通して政府や議会の関係者と会談するとともに、ワシントン事務所を開設し、沖縄基地問題への理解を促進しようとしてきた。
今回の翁長知事訪米の柱の一つは、ワシントンで沖縄米軍基地についてのシンポジウムを開催することであった。3月13日に開催されたシンポジウムは、「Changing East Asian Security Dynamics and Okinawa: Re-examine the US Force Posture in Japan」(「変容する東アジアの安全保障のダイナミクスと沖縄―日本における米軍態勢を再検討する」)と題され、1996年の普天間基地返還合意を主導したペリー元国防長官、1972年に実現した沖縄返還でキーパーソンだったハルぺリン元国防次官補代理や日米の研究者が参加した。
沖縄県としては、北朝鮮の核・ミサイル問題や中国の軍事的台頭といった東アジアの安全保障問題という幅広いテーマを据えた上でその中で沖縄を扱うことで、できるだけ多くの人々(特に研究者や政府関係者)に沖縄に関心を持ってもらうことを目指していたようである。一方、翁長知事は、訪米直前の記者会見で辺野古移設問題について「シンポジウムでいい形で代替案が出てくればいい」「ワシントンから新たな、柔軟な物の見方がでてくるのではないか」と期待感を示した。日米両政府が普天間基地の危険性除去と日米同盟の抑止力維持を両立させる「唯一の解決策」として辺野古移設を推進する中、今年に入ってメディアでは、翁長県政が辺野古移設阻止のため、辺野古移設の代替案を提示するのではないかと注目されていた。
筆者は、このシンポジウムに、パネリストの一人として参加した。本稿では、ワシントンのシンポジウムではどのような議論がなされたのかを振り返り、それをどのように受け止めるべきか考えたい。なお筆者は、不偏不党の立場で、あくまで日本外交史や沖縄基地問題を専門とする一研究者として参加したに過ぎないことを断っておく。