県民投票の可能性<下>

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「意味がない」から意味がある

 

20184月の「『辺野古』県民投票の会」設立当初、翁長知事による埋め立て承認撤回や2018年知事選に間に合わない、ただちに工事を止められない県民投票は意味がない、という批判がオール沖縄やキャンプ・シュワブのゲート前で座り込む人々を中心になされた。

しかし実際には、県民投票の影響力が限られているからこそ署名に応じられる、という側面もあったのではないか。琉球朝日放送の7月9日のニュースでは、街頭署名に応じた県民たちが、県民投票は辺野古移設阻止に有効かと聞かれて、「どうでしょうね…でもね、やらないよりはね、やった方がいい」「(辺野古に作ることは)もう決まっているんじゃないかなと思ってます本当は」と答える姿が流れた。意味がないのになぜ署名に協力するのか、と聞かれた男性は「気持ち」と答えた。

 201612月の最高裁判決で、翁長県政による辺野古埋め立て工事の承認「取り消し」が違法と判断され、その1週間後には工事が再開、20174月には護岸工事が始まった。同時に、政府に協力的な政治家のみならず一般の県民の間でも、県が国と対立していることが問題の解決を停滞させている、という批判が台頭し、選挙に影を落とすようになった。

だが、現実の政治に直結しないと思われることで、県民投票の会は多くの県民から心情を素直に託される存在となりえた。県民投票の会の元山仁士郎代表が、金や権力とは無縁の26歳の大学院生であり、彼とともに活動する若者たちも後ろ盾のない20代前半であることが報道で紹介され、署名活動への支持を伸ばした事実からもそれが分かる。

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