型にはまったメディア
5月23日から始まった県民投票のための署名は当初、数が伸び悩んだ。これは、県民投票の会が有志の集まりで、組織的な署名活動が難しかったことが主な理由だが、メディアの報道が県民投票の会を無理やり型にはめようとしたことも大きい。
たとえば署名活動の開始日、メディア各社は同会に「街頭署名の絵がほしい」と要求した。実は、県民投票の会はスタッフの数が限られているため、活動前半は街頭署名を実施する余裕がなく、自分が住む市町村の中で署名を集めてくれる受任者を大量につのる作戦をとっていた。ところが、メディアの「絵」のためだけに集められた老若男女が、一瞬だけ街頭署名を行った場面が報道された結果、会の事務所には「どこで街頭署名を行っているのか」という問い合わせが相次いだ。
そもそも全国・地方を問わず、メディアの関心は当初、県民投票が知事の撤回や土砂投入阻止、あるいは知事選とどう絡むのか、という点に集中していた。と同時に、大多数のメディア関係者が、「県民投票は撤回や知事選に間に合わないから意味がない」と内心で考えていた。
また、県民投票の会の若者たちを、県民投票の有効性を説く武田真一郎・成蹊大学教授や副代表の新垣勉弁護士、顧問の呉屋会長の操り人形だと見るメディア関係者もそれなりにいた。地元紙は、最終的に署名数が1996年を大きく超えた理由を、既存の運動団体による組織的な署名活動だと分析したが、それでは連合沖縄による署名活動が展開された1996年よりも署名数が増えた説明になっていない。
その上、とりわけ全国メディアには、劇場型の対立構図を演出しようとする傾向が強い。2014年の稲嶺名護市長の再選記者会見や翁長知事の当選記者会見でも、ひたすら「辺野古移設は阻止できるのか」「勝算は」「手段は」という質問が繰り返された。同様に、県民投票の会の中間報告会にも、元山代表と嘉陽氏の対決を期待した全国メディアが集まった。互いに意見は述べるが反論はしない彼らの議論に、取材した者たちは大いに失望した。
県民投票の会が、県民間の分断を克服するための議論を実現しようとしていることを、メディアの多くの人間が理解しないままでは、残念ながら会の若者たちの夢がかなうことは難しいだろう。県民投票が持つ可能性が現実のものとならなければ、メディアは予想通りだと論評するのだろうか。それは予言の自己実現ではないだろうか。