翁長雄志が真に対決したものは

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戦後日本の「国のかたち」と対決

 

8月8日に死去した翁長雄志の歴史的評価はこれからであろうが、少なくとも彼が歴代沖縄県知事のなかで最も激しく政府と対決した知事であったことは間違いない。翁長雄志が闘った相手は、直接的には安倍政権であったが、より本質的にいえば、戦後日本の「国のかたち」そのものであったといえる。沖縄の苦難の戦後をみずから学び体験してきた翁長だからこそ、しかも沖縄の保守政治家として「理想と現実」のはざまで苦悩・葛藤してきた彼だからこそ、本土に住む我々には見えづらいこの国のある種の本質がみえたのである。本稿では、その翁長が対峙した戦後日本の「国のかたち」とは一体どのようなものであり、またそれを彼はどのような形で克服しようとしたのかを考えてみたい。

保守政治家としてのスタンス

 

そもそも沖縄の保守勢力は、その認識に濃淡はあれ、日米安保体制によって日本の平和と安全が保たれているという認識をもつとともに、その平和と安全を維持するためにも一定の範囲内で米軍基地を引き受けるという態度を示してきた。より抽象的にいえば、国家が与える安全という名の恩恵を自覚するとともに、その安全を維持していくためにも国民のなすべき応分の負担を引き受ける、という態度をとってきたのである。自由民主党を出自とする翁長雄志は、当然ながらその意味で、日米安保体制のもつ重要性を「十二分に理解」する政治家であった。

しかしながら、翁長は戦後長きにわたって過重な基地負担を強いられてきた沖縄の地に、しかも辺野古の美しい海を埋め立てて新基地がつくられることに、強く反対した。安全保障上の理由があるのならいざしらず、単に他の都道府県が普天間基地の代替施設を受け入れないという理由のためだけであるならば、とてもじゃないが沖縄は受け入れられない、というのが翁長の言い分であった。翁長は次のように述べている。

私は沖縄に今ある米軍基地をゼロにしろと言っているわけではありません。日本全体で安全保障を守るという覚悟をもって、全国で平等に基地を負担するならば、沖縄は応分の基地を引き受けます。しかし、米軍基地のほとんどを70年間、沖縄一県に押し付けて、21世紀のこれからもなおその状態を永続させようとする安全保障政策はどうあっても受け入れられません(翁長雄志『戦う民意』)。

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