翁長雄志が真に対決したものは

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翁長が発する根源的な問い

 

日米安保条約の破棄や米軍基地の全面撤去を主張する左派の政治家が言うのであれば話しはまた別であるが、苦渋の選択であれ何であれ、これまで日本国民としての負担を引き受けてきた保守の政治家の言葉であることを考えれば、また「沖縄は日本に操を尽くしてきた」という保守の政治家の言葉であることを踏まえれば、その意味するところは深くて重い。したがって、「いったい沖縄が日本に甘えているんですか。それとも日本が沖縄に甘えているんですか」(『朝日新聞』2012年11月24日)とストレートに訴える翁長の言は、本土に住む私たち日本国民に根源的な問いを突きつけている。

品格ある日米安保体制を求めて

 

このように翁長は国の安全を維持するための負担、すなわちアメリカへの基地提供という形での安全保障上の負担を沖縄に大部分背負わせたまま、それと正面から向き合うことをしない日本政府や日本国民のあり方を、とりわけ沖縄の民意を踏みにじって強引に辺野古移設を推し進めようとする政府のあり方を、批判したのである。翁長はこの政府の強硬姿勢について、次のようにも述べている。

沖縄の基地問題を通して分かるように、自国の国民に人権も民主主義も保障できない国が、どうして同じ価値観を共有する世界の国々に対して、安保体制の大切さを訴えることができるでしょうか。アジアのリーダー、世界のリーダー、国連でも確固たる地位を占めようとしている日本は、それに見合う品格のある日米安保体制が築けて初めて同じ価値観を共有し、世界の国々と連帯できる資格が持てます。沖縄の基地問題によって、民主主義国家たる日本の成熟度が試されているのです(『戦う民意』)。

幻想や虚構に安住する護憲派

 

このように翁長は本質的なところから政府の態度を批判し、「品格ある日米安保体制」をつくり上げていくべきだと訴えるが、彼の批判はそれにとどまらず、その矛先は憲法9条によって日本の安全が保たれているとする「護憲派」にも及ぶことになる。翁長は言う。

「復帰後も沖縄に過重な基地を負担させている中で、憲法9条で守られているとか、戦争をしないとか言う。幻想や虚構に国民が安住してしまっている」(『琉球新報2013年12月8日)。

つまり、沖縄の現実から戦後日本のありようをみつめてきた翁長には、9条に寄りかかって安住する日本国民と、安全保障上の負担を引き受ける覚悟もなく、また自立の問題にも鈍感な日本国民の双方の姿がみえ、それを問題にしたのである。もっといえば、沖縄に過重な基地負担を負わせたまま憲法9条と日米安保条約によって成り立ってきたこの「国のかたち」そのものと、翁長は対峙したのである。

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