言葉の政治と、言葉を持たない政治家
政治家たるものの本質が言葉にあるのは当然であり、翁長知事の提起を受けて安倍晋三首相や菅義偉官房長官も政治家として堂々と論戦を交わせばよかったのである。ところが安倍氏が辺野古新基地問題について語っているのを聞くことはなく、菅氏は「唯一の解決策」を繰り返すばかりである。おそらくなぜ現行案が「唯一」なのか、説得的に語ることができないのであろう。
歴史を踏まえた翁長知事の訴えに対し、菅氏が「私は戦後生まれなので歴史を持ち出されても困ります」と答えたのには、落胆を越えて失笑を禁じ得なかった。失礼ながら、授業中に「勉強していないので分かりません」と答えて平然としている学生のようである。仮にも歴史を重んじるべき保守を自認し、国政の中枢を担う政治家の言葉だろうか。自己礼賛のキャッチフレーズと誠実さを欠いた国会での答弁。政治家にとって生命線であるはずの言葉を放棄したかのような政治は、現政権が抱える最大の問題点である。
こうして議論の相手を見出せない翁長知事の言葉は宙に浮き、全国レベルのネット空間などでは罵詈雑言の対象となった。翁長氏は知事に当選後には自民党出身者として、自分であれば政権中枢とも話しができると踏んでいたようにも見える。しかし政権側は対話を拒み、政治が本来担うべき役割を放棄した。結果として翁長知事は、本土に向けて沖縄基地問題の理不尽さを訴える「孤高の告発者」という色合いを帯びていった。
政治家が歴史になるとき
さて、この論考のタイトルである「政治家が歴史になるとき」である。戦後日本において、時代を代表する人物となった田中角栄と吉田茂は、いずれも日中国交回復(田中)や、サンフランシスコ講和条約の調印(吉田)といった具体的な事跡ゆえに時代の象徴となったわけではない。「庶民の時代」や「吉田路線」といった時代精神や、ある種の理念と絡むことによって、歴史における象徴となったのである。
翁長知事は、話し合いによる問題解決という道筋を政権側によって断たれたとき、妥協や諦めではなく、その政治的使命に殉じる道を選んだ。現実問題としての辺野古新基地阻止の成否を越え、その姿を後世に残すことによって、沖縄の未来に希望を託そうとしたようにも見える。そのような翁長氏は現状においては、一人の県知事でありながら、「安倍一強」政権に対して孤独な闘いを挑んだ政治家と見えるかもしれない。
しかし日本の戦後史を見ても、人物、ことに政治家の評価は変転を遂げるものである。現状では「一強」と称される安倍政権だが、内政、外交を問わず、その諸政策に将来に繋がるものはほとんどないように感じられる。その歴史的評価が厳しいものになることは避けがたいのではないか。
一方で、国際情勢と東アジアの将来を構想したとき、本当にこれ以上の基地は必要なのかという翁長知事の訴えは、今後、時間が経つほどに重要な意味を持つことになるだろう。また、日米地位協定の見直しについて、「基地問題は一都道府県の問題ではない」と全国知事会での研究を働きかけ、提言にまとめあげたのは翁長県政の重要な功績である。とかく「親米」「反米」の二分法で語られがちな問題だが、この種の動きは沖縄のみならず、日本外交が議論の幅を広げ、来る秩序変動期に相応しい柔軟性と主体性を回復するためにも、必要なことだといえよう。
翁長氏の存在は後世の人々によって幾度も思い起こされ、さまざまなメッセージを放つことになるであろう。それが、政治家が歴史になるということなのである。