政治家が歴史になるとき―翁長知事の逝去をめぐって

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時代を象徴する政治家とは

 

ある時代や事象を象徴する人物というものが存在する。芸術家や作家という場合もあるだろうが、やはり多くは政治家である。NHKが戦後70年の節目にあたる2015年を迎えるにあたって実施した世論調査によれば、戦後の日本を代表する人物の筆頭に挙げられたのは田中角栄(全回答者のうち、25%)であり、つづいて吉田茂(13%)、昭和天皇(8%)であった(NHK放送文化研究所『放送研究と調査』20158月号)。

戦後日本を代表する人物として群を抜く田中角栄だが、それはなぜだろうか。戦後とは、何よりも一般庶民が主役となった時代であった。戦前には旧大名家などから成る華族制度など、江戸時代の身分制度を引きずった階級社会の側面があった。これに対して戦後は、「金のタマゴ」などと持て囃された集団就職などで人口が東京、大阪など大都市圏に大移動して中産階級を形成し、その旺盛な消費意欲が高度経済成長をもたらした。高等小学校卒業という学歴ながら、「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた馬力と才覚によって戦後最年少で首相に就任し、「今太閤」と持て囃された田中は、「戦後=庶民の時代」を象徴する存在となったのである。

田中のもう一つの側面は、アメリカとの摩擦を伴ったとも見える資源外交や対中国交正常化、そしてロッキード事件など「アメリカの影」であろう。その実態はともかく、「対米自主」に挑んで転げ落ちたかに見えたことも、戦後日本の一側面を象徴していると見なされる要因かもしれない。

 

変転する同時代の評価

 

吉田茂の場合はどうであろうか。昨今でこそ、戦後日本の安定と繁栄の礎となった「吉田路線」(軽武装+経済重視)の創始者と見なされる吉田だが、1954年に退陣に追い込まれたとき、世の評価は散々なものであった。見苦しく権力にしがみつく、高慢で民衆と対話のできない時代錯誤の老政治家といったところであろうか。

吉田退陣後は、鳩山一郎、岸信介といった「反吉田」の政治家が政権を握った。しかし、安保騒動で岸が退陣すると、吉田直系の池田勇人、佐藤栄作などが長期政権を築き、その下で日本は高度成長を確かなものにする。吉田は鮮やかに復権し、逝去の際には(1967年)戦後で唯一、国葬が執り行われた。

田中も吉田も、間違いなく歴史になった政治家だといえよう。田中の場合、首相としての業績は政権発足直後の日中国交正常化ぐらいで、後はインフレや金権スキャンダル、「闇将軍」として自民党を裏面から支配しつづけたことが目立つのだが、そのような負の側面が時とともに忘れ去られ、庶民性と対米自主志向の象徴として再発見されている。

これに対して吉田は、その弟子筋が日本政治の主役となることによって、師にあたる存在として復権を果たした。結果として吉田は戦後日本=「経済大国、平和国家」の象徴となったのである。

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