普天間・辺野古問題の「焦点」はどこにあるのか(下)

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「辺野古か、普天間の継続か」はズレている

 

普天間・辺野古をめぐっては、先日の土砂投入や、来月の県民投票に向けた沖縄県内の足並みの乱れなどに注目が集まりがちである。安倍政権としては、この問題は「もはや決着済み」だとしてあきらめを誘い、玉城デニー知事の足元を切り崩したいのであろう。

だが、問題の焦点はそこにあるのではない。「早期の危険性除去」というこの問題の原点が、現政権によって放棄されつつあることこそが、重要なのである。

別の角度から言えば、「辺野古か、普天間の継続使用か」という一見、分かりやすい選択肢そのものが、ズレているのである。なぜなら、「辺野古移設」では、「早期の危険性除去」という本来の目標をもはや達成することができないからである。

そうであるならば、県民投票をめぐって沖縄の民意が「辺野古か、普天間の継続使用か」という形で割れるとすれば、きわめて不幸なことである。「普天間の危険性の早期除去」を望むという点では、差異はないはずだからである。

「辺野古か、普天間の継続使用か」という問いの設定は、「危険性の早期除去」が放棄されつつあることを覆い隠し、その上で民意を分断することを意図した「筋の悪いタマ」である。「普天間の危険性の早期除去」という原点に立ち返り、いかなる方途がそれを可能にするのかということに議論が収斂しなくてはならない。

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