最初から守られなかった「15年使用期限」―沖縄サミット決定20年に寄せて―

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「アメリカには伝えていない」

 

後任の森喜朗内閣の虎島和夫防衛庁長官は、就任時のインタビューで、「15年使用期限」は困難だと発言する。青木幹雄前官房長官や野中広務幹事長ら、旧小渕派の自民党政治家は、即座に釈明記者会見を設定。虎島防衛庁長官は、その日のうちに発言を撤回した。

実のところ、虎島長官の発言は、防衛庁と外務省の官僚の考えを反映していた。

2018年12月30日放送の、TBS特集番組『報道の日2018』。日米両政府が普天間飛行場の県内移設を決定した、沖縄特別行動委員会(SACO。1995~96年開催)に、内閣審議官として関わった守屋武昌氏は、こう証言している。

「(日米両政府が)15年の使用期限を認めることは、断じてありません。それはできないんですよ。国と国との約束で。国際情勢が15年後に安定的なものになる保証は、推測できませんから。」

のちの小泉純一郎政権で、守屋氏は、防衛事務次官として普天間移設問題を一手に担う。そして、「軍民共用」「15年使用期限」の二条件を破棄し、新たな辺野古移設案でジョージ・W・ブッシュ政権と合意することになる。

同じ番組に出演した、橋本・小泉両政権で首相補佐官を務めた、元外務官僚の岡本行夫氏も、「15年移設というのは、まあ、ありえないんですよね」と、守屋氏の見解に賛意を示している。そして、「結局、あの案は、アメリカに伝えられていないはずですよ」と、こともなげに言った。
先述したように、クリントン政権は、沖縄が辺野古移設に課した条件を知っており、条件交渉の先送りを日本側に提案していた。クリントンから交代して、2001年1月に大統領となったブッシュは、その年の3月の日米首脳会談で、「15年使用期限」はのめないと明言する。

当時、沖縄タイムス記者だった屋良朝博氏は、知り合いの米外交官にブッシュ大統領の真意をたずね、「大人の気遣い」だと言われたという。ブッシュが、日本政府に代わって沖縄の求めを拒否する悪役を務めた、という意味だ。そのおかげで、日本政府は、沖縄側の移設条件をアメリカと協議する手間が省けたのである。

田中派と福田派は「太陽と北風」

 

稲嶺氏は、日本経済新聞のインタビューで、普天間の辺野古移設受け入れの決断を振り返って、こう回顧している。「県内世論の60%は反対だったが、日本の防衛のためにやむなしとの考えもあり、苦渋の選択をした。」稲嶺氏の回顧録によれば、知事在任中は毎晩、酒がないと眠れないほど、思い悩み苦しむ日々だったという。

国策と沖縄の世論との板挟みにあって、稲嶺氏と翁長氏がとったギリギリの妥協点が、「軍民共用」「15年使用期限」を条件とした、辺野古移設受け入れだった。しかし、二人の重い決断は、日本政府にとっては、吹けば飛ぶような軽さしか持たなかったのである。

翁長氏は生前、橋本氏や梶山静六氏、小渕氏、野中氏といった田中派の自民党政治家には、沖縄への愛があったが、福田派の流れをくむ安倍晋三首相には、それがないと批判していた。しかし、真実は、自民党政治家は派閥を問わず、一貫して沖縄に対して冷徹であった。有名なイソップ寓話のように、太陽と北風のどちらも、とった手段は真反対でも、旅人のマントを脱がすという目的は同じだったのだ。

※本稿は、拙稿「米国の普天間移設の意図と失敗」『沖縄法政研究』19号(2017年2月)から抜粋し、一部加筆したものである。

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