「何で海に捨てる?」
昨年(18年)12月15日、辺野古に土砂投入が強行された。玉城デニー知事が辺野古ゲート前に来るというので娘と2人向かった。多くの人が独特の熱気でゲート前に座り込んでいた。
私はこの日、初めて娘を連れてきた。
ゲート前の、少し斜めになっている壁をよじ登る娘。本人は公園で遊んでいる感覚だと思う。
自宅から持参した双眼鏡を首にぶら下げ、1人楽しそうに覗いていた。
しばらくすると降りてきて、私にこう質問した。
「反対側の人はだれ?」
指差したのは道向かい。
機動隊だ。作業着にサングラス、マスクにヘルメット。警備員も同じく沢山立っていた。知事が来るのに備え増員したのだろう。大人の私から見ても物々しい雰囲気だった。
たった数メートル。同じ道路の反対側。それだけなのに、ここは異国の国境かと思うほど空気感や風景は違って見えた。
「警備員だよ、パトロールする人。入らないように見ているのかな。」
娘に通じるように言葉を選ぶが、正解なのか分からない。「怖いね。」と娘。
何が怖い?と聞くと、「怒ってるみたい。ケンカするの?」
サングラスしてマスクを着用している人が多く、顔の表情はほぼ見えない。確かに笑っている人はいないが、それでも6歳の娘にも警備員や機動隊の威圧感を感じ取る異様さがそこにはあった。
一体何を守りたいのだろう。あちらとこちら側で、どうしてこんなに守るべきものが違うのか。辺野古の海と生命を守る事と、戦争に備える新基地建設は、等しい価値があるのか?
双眼鏡を握る娘の手が絵本を握りしめる手に重なって見え、沖縄はどこにいても同じなんだと痛感した。
知事が到着し、駆け付けた群衆の盛り上がりは一体感を増し、娘の顔が少しホッとした様に見えた。
昨年から知事選や県民投票など、一市民として将来の沖縄の為に私なりに出来る事をしている。
その傍に出来るだけ娘を連れて行く。見て欲しい、この現実を。100%は理解出来ないだろう。つまらなさそうにしているときもあるが、持ってきたクマのぬいぐるみと遊んだり、絵本を見たりお菓子を食べて1人黙々と遊んでいる。
時折、私の手から資料を取ったりスライドショーを見て、あれは何と書いてるの?と質問する。
「海に砂を捨ててる!ダンプカーからドサーって。何で海に捨てる?」
娘にとって、埋め立て工事は汚い物を捨てている風景に映るのだ。
「海に砂を敷き詰めて、保育園の砂場みたいに広っぱにするんだよ。危ないヘリコプターを飛ばす為に。」
一瞬怒った顔をして「CH53?」と機体の名前を即答する。
彼女にとっても日常の一部。
これが私や娘、県民の日常だと思う。