いまだ強烈な昭和の記憶
2019年5月1日、元号が平成から令和に変わったが、沖縄では、63年の長きにわたり続いた昭和の記憶が、いまだに人々を捕らえている。1945年の沖縄戦。そこから1972年の沖縄返還までの米軍占領期(沖縄の呼び方でいえば「アメリカ世」)。時間がたち、関係者が少なくなり、しがらみがなくなったことで、元号が令和に替わるのを機に、沖縄戦やアメリカ世の記憶を語り始めた人々もいる。
そもそも沖縄では、戦争と戦後処理で支配者や帰属が変わるタイミングを、時代の区分としてきた。中国の冊封体制下にあった琉球王国時代の「唐世」、明治初期の琉球処分以後の「大和世」、アメリカ世、そして再び大和世へ。元号による区分とは異なる歴史認識が存在している。
沖縄の人々が、昭和の記憶とともに生き続けるのは、沖縄戦やアメリカ世を行った日米両政府が、歴史を清算せず、むしろ忘却あるいは正当化しようとしていると感じるからだ。まだ昭和も清算されていないのに、令和を無邪気に喜ぶことはできない。
嘉手納基地や普天間飛行場は、米軍が沖縄戦での上陸と同時に占拠、あるいは建設した基地だ。普天間飛行場をめぐる有名なデマに、「何もない場所に米軍が建てた後、住民がその周囲に住み始めた」というものがある。実際には、普天間飛行場の一帯には、村役場を中心とする集落があったが、米軍が街並みを破壊して飛行場を建設した。安倍晋三首相に近しいとされる小説家が、自民党の勉強会でこのデマを事実のように話した出来事に、沖縄の人々は昭和の記憶を生々しく蘇らせた。
衆院沖縄3区補選
2019年4月21日、衆議院沖縄3区補欠選挙の投開票が行われた。2018年9月に沖縄県知事選を制した玉城デニー知事の、衆議院議員失職に伴うものである。今回の補選の特色は、候補者二人がともに、辺野古問題を争点の一つに挙げたことだ。「辺野古隠し」が行われない選挙は、翁長雄志氏が当選した2014年11月の沖縄県知事選以来だった。
結果は、在沖海兵隊のローテーション運用を活用した撤退を持論とする、無所属でフリージャーナリストの屋良朝博氏が、日本政府の立場を代弁する元沖縄北方担当大臣の島尻安伊子氏をおさえて当選した。
これは、2月24日に投開票された、辺野古沖埋め立て工事の賛否を問う沖縄県民投票で、自公支持層や辺野古のある名護市(3区)などでも反対が多かったことを、日本政府が黙殺した結果ともいえる。朝日新聞が実施した出口調査によれば、県民投票では自民支持層の45%、公明支持層の55%が反対を選んだと回答している。
保守層や地元も含めた反対の民意が示されたのに対して、安倍内閣は「移設をこれ以上先送りすることはできない」と表明し、県民投票の投開票翌日も、沖縄防衛局が辺野古沖埋め立てに使用する土砂の搬出作業を継続した。約1万7000票もの差をつけられての島尻氏の敗北は、県民投票の結果を無視した辺野古沖埋め立ての主張が、県民の怒りをかったと解釈することもできよう。