保守でも革新でもない「現実派」の政治家

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利益からイデオロギーへと変じた自民党の求心力

 

翁長氏が自民党県連幹事長を務めた1990年代にはまだ、自民党を通じた中央―地方間の富の再分配機能が生きており、それが可能だった。島田懇談会で決定された計836億円の振興事業をはじめとする、莫大な沖縄振興予算は、バブル崩壊後も世界第2位の経済大国の座を維持していた、日本経済の底力によるものだ。

だが、2000年代に入って小泉純一郎内閣の三位一体改革が実施され、リーマンショックが起こり、東日本大震災が発生。自民党政権には、沖縄の「保守派」に利益誘導を行うだけの、財政的余裕がなくなりつつある。

ただし、沖縄県が、米軍基地の維持とひきかえに現在まで、莫大な振興予算を受け取っているというイメージは強い。確かに、内閣府沖縄担当部局予算は、1998年の4713億円をピークに、2011年の2317億円まで下落した後、2012年から3000億円台を維持している。

高度経済成長期を米軍占領下で過ごし、日本経済から取り残された沖縄県に配慮して、返還の年に、沖縄振興開発特別措置法が施行される。現在に至るまで、沖縄県だけは他府県とは異なり、内閣府沖縄担当部局が各省庁の予算も含め、予算を一括計上して財務省に要求する仕組みだ。他府県は各省庁に予算要求するので総額が見えにくいが、沖縄県は総額が容易に判明するので、沖縄関係予算の額が突出して大きいように見える。また、沖縄関係予算には、学校の文教施設費、不発弾処理費など、振興予算とは関係のないものも含まれている。

無意味な保革の区分

 

分配する元のパイが小さくなった結果、安倍首相は、極端な愛国主義によって自民党とその支持者の結束を図っている。だが、沖縄戦における「集団自決」の記述を書き替え、2013年には、沖縄を米軍占領下においたままの日本の独立回復を、「主権回復の日」として祝った、安倍首相の歴史感覚は、沖縄戦とアメリカ世を体験した沖縄県民には受け入れがたい。

玉城知事も、「保守中道を自分の考え方だと信じ、日米安保、専守防衛としての自衛隊を憲法の範囲内で認めている」とその思想を語る。彼のいう「保守中道」とは、あくまで基地のない平和な沖縄を目指す「革新派」との対比であり、愛国教育と改憲に執着する現在の自民党の姿とは一致しない。平成の終わりは、「革新派」と「保守派」という従来の区分の終わりでもあるのだろう。

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