屋良氏は「革新派」か
屋良氏は、選挙で「オール沖縄」の支援を受けたことや、沖縄タイムスの記者、論説委員などの経歴から、「革新派」の政治家と見られている。だが、彼の代表作『砂上の同盟』『誤解だらけの沖縄・米軍基地』を読めば、その思想が、イデオロギーで分けられるものではないことは理解できよう。日米両政府が普天間飛行場の県内移設を正当化する、「在沖海兵隊は抑止力」だという議論に根拠がないことを、屋良氏は一貫して、軍事戦略の観点から解き明かしてきた。
2009年の『砂上の同盟』刊行から10年の間に、屋良氏の議論は全国的に浸透し、安倍内閣が主張する、普天間県内移設の理由は、「一日も早い普天間の危険性除去」に変わった。ただし、辺野古沖の軟弱地盤の存在が発覚し、安倍内閣の間に移設工事が完了しないことは、もはや誰の目にも明らかである。
沖縄の「革新派」とは、沖縄戦の記憶を語り継ぎ、基地のない平和な沖縄を目指す政治家をいう。これに対して「保守派」とは、自民党を支持し、米軍基地の受け入れとひきかえに経済振興を求める政治家たちをいう。
しかし、沖縄戦の記憶は、ときに「革新派」と「保守派」の協力を可能にしてきた。「保守派」の故・翁長雄志氏は、1950年生まれで沖縄戦を体験していないが、父親から沖縄戦の体験を聞かされて育つ。2007年の安倍内閣の教科書問題(高校の歴史教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」に対する日本軍の強制性が削除された)をきっかけに、翁長氏は、日本政府を批判するようになる。沖縄戦の記憶は翁長氏と「革新派」を結びつけ、オール沖縄を誕生させた。
アメリカ世世代の政治家
こうした「沖縄戦世代」に対して、玉城知事や屋良氏は「アメリカ世世代」といえようか。屋良氏は1962年生まれ。アメリカが、本格的にベトナムへ軍事介入していく時期に育ち、物心がつくかつかないかで日本復帰を迎えた。屋良氏の3歳年上の、玉城知事も同様である。彼らは、幼年期にアメリカ人の圧倒的な豊かさを見せつけられ、ロックなどの開放的な文化に憧れを抱いた、原体験を持っている。ベトナム戦争中、生きて帰れるか分からない米兵は、戦場に行く前に滞在した沖縄で、有り金をはたいて遊んだ。
父親が米海兵隊員の玉城知事だけではなく、屋良氏も、父親が基地従業員だったという点で、米兵と無縁ではなかった。屋良氏が小学生のとき、米兵が戯れにくれた『プレイボーイ』は、宝物だったという。また、屋良氏の得意料理の一つにタコスがある。小麦粉とクリームコーンを混ぜて作る生地は、香ばしくモチモチで、何枚でも食べられる。ヒスパニック系の多い海兵隊が、ベトナム戦争期にタコスを沖縄へ持ち込んだ。屋良氏のタコスは、彼の幼少時代の沖縄を象徴している。
家族を通じて米軍に触れ、アメリカ文化に接して育った玉城知事と屋良氏は、「革新派」にはなれない。米軍基地の存在を全面的に否定することは、彼ら自身の生い立ちを否定することにもつながりかねないからだ。かといって、彼らは、自民党を支持する旧来の「保守派」にもなりえない。自民党の思想が、現実から乖離してしまったからだ。