なぜ普天間の「高知移設案」は幻に終わったのか【上】

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ジョン万次郎と沖縄

この時期、平野は二つの課題に取り組んでいた。ひとつは、湾岸紛争をめぐる国連協力として「PKO参加」の各党合意を、どう実現するかという国会事務局としての「公務」であり、もうひとつは平野の故郷の偉人、ジョン万次郎が漂流して150年となり、日本の開国や近代化に尽力した功績を顕彰する「私事」であった。万次郎は、帰国の際、沖縄の人々にお世話になったエピソードがある。そこで平野は次の構想を練った。

①高知県西南地域の地政は、東アジア全体をカバーする空港と海とを一体化する拠点である。アジア地域に紛争や災害が発生した場合、国際的スケールで人道的救援活動に積極的に参加することは、憲法の精神からいってもこれからの日本が行うべきである。

②そのために『ジョン万次郎記念国際貢献PKO訓練センター』を建設すること。業務の第1は、国連PKO訓練センターを設置し、人材育成や物資の保管などを行う。第2に、航空自衛隊及び米軍の使用も可能とし民間の航空機も使用できるようにする。第3に、東アジアの物流センターの役割を持たせることも可能。


 つまり、平野の構想は沖縄の米軍海兵隊の移転というストレートな表現をすると地元の反発を招くので、当時、国連PKO法案を作成中だった「国連PKO訓練センターの建設」という名目で、自衛隊、米軍、場合によっては国連多国籍軍といった、国際貢献を役割とする組織を作ろうというものだった。更には地元のために民間空港、国際物流拠点として活用することも構想の中に入っていた。当時、土佐清水市の「今の山」には航空自衛隊のレーダーが建設されることも決まっており、平野によると、この地点からは、レーダーでシベリアの中央からフィリッピンまで観察可能で、東アジアの紛争や災害に救援活動するセンターとして最適であったという。

平野は、この構想を当時の中内知事に相談したところ大変喜び、空港候補地の国有地について、地勢や地質などの基礎調査を高知県の経費で極秘に行うことになった。中内知事は直ちに上京し、当時の自民党の小沢一郎幹事長に陳情したところ、「岩手県につくりたいぐらいだ。私はジョン万次郎の会の会長に就任したばかりだ。国連協力といえば、万次郎の精神であり、沖縄米軍基地の縮小は万次郎の恩返しとなる。高知の人も理解してくれる。実現しよう」と快諾してくれたという。

91年10月、中内知事は極秘に防衛庁の協力を得て、辺野古埋め立てにおいても度々名前が上がる建設コンサル大手「日本工営」に基礎調査を依頼。報告書が提出されたのは中内知事の任期満了2ヵ月前であった。報告書の名称は「高知県西南地域における空港設置に係る構想調査(概要版)」、報告書では地勢・地質などに問題はなく、3500メートルの滑走路予想図まで添付されている。

問題の事業費は本体工事・関連施設・関連工事を合計して、3284億3800万円と試算していたが、ほとんどが国有地であるので、岩国基地の拡大埋め立て整備の場合の約4分の1程度の事業費ですむという結論であった。

平野によると、当時、航空自衛隊出身で外務省の安全保障セクションにいた森本敏(後に民主党政権で防衛大臣)に現地視察を要請し、森本は現地視察後、「宮崎県の新田原航空基地と同じ条件で、航空基地には最適地だ」と述べたとのことである。

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