なぜ普天間の「高知移設案」は幻に終わったのか【中】

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改正特措法は県外移設が前提で成立

橋本首相の回答は、①については了承するが、②の法律の制定は困難と拒否したという。③は自民党内を説得し、次の内閣・党人事で実現したいということで、翌3日、改めて再会談することになったという。

自民党内は小沢党首の主張をめぐって紛糾したが、事態が事態だけに、②については応ずべきでないことを条件として、再会談に応じることを了承した。③については、自民党内で議論せず、橋本首相個人の認識にとどめたという。

再会談を開くためには、②についての合意案が必要である。梶山官房長官の希望で、平野と当時官房副長官だった与謝野馨で協議し案文を作成することになった。平野は、「普天間基地は沖縄本島東海岸との方向性が合意されているが、状況によっては、『県外』とする可能性があり、PKO訓練センター構想を生かせる絶好のチャンス」と考えたという。

「合意案」づくりの手順は与謝野副長官が第1項を提示し、自民党が拒否した法律事項に替わる対案に関しては、平野側の要求を提示して欲しいということで、平野は、事前の小沢党首との打合せどおり、第2項と第3項を提案する。基本理念は、「沖縄県民の負担を全国民が担うこと」、「基地の整理・縮小・移転等は、県民の意思を生かすこと」、そのために「国が最終的に責任を負う仕組みを誠意をもって整備する」であった。すなわち「法律で定めることを言い換えた」と平野は述べる。

97年4月3日夜、再開された橋本・小沢会談で案文通り合意が成立した。

合意した内容は次のとおり。
①日米安保条約は我が国の安全保障を確立するという国の根幹にかかわるものであるという共通の認識に立ち、政府が同条約上の義務の履行に最終責任を負う。
②在沖縄米軍基地問題は、日米の関係を円滑にし、絆を強化するとともに、沖縄県民の負担を全国民が担うという考え方に基づいて解決すべきである。
③沖縄の基地使用にかかる問題は、県民の意思を生かしながら、基地の整理・縮小・移転等を含め、国が最終的に責任を負う仕組みを誠意をもって整備するものとする。

この合意により当時野党第一党であった新進党の協力で「駐留軍用地特別措置法改正案」は97年4月17日に可決成立する。衆議院日米安保土地使用等特別委員長だった自民党野中広務は、衆議院委員会通過後の同月11日、本会議での委員会報告の最後に、「この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります」と付け加えている。

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