ラッキーナンバー41
私事で恐縮だが、拙著『日米地位協定』(中公新書、2019年)が2020年度の石橋湛山賞を受賞した。偶然にも、41歳で第41回同賞をちょうだいすることになった。ちなみに、同じく今年1月に受賞した沖縄研究奨励賞も第41回である。
石橋湛山賞では、「日米同盟を重視しつつ、米国に対しても、非は非と主張し続けた石橋湛山の名を冠する本賞にふさわしい」との評価をいただいたが、日米地位協定は主義主張や思想ではなく生活の問題、という主張が評価されたのだと思っている。
日米地位協定があるために、米軍基地のある自治体に住む人間は安心して生活できない。不便や損失を被る。身体の危険を感じる。精神的な苦痛を味わう。命を奪われる。こうした現実は、保守・革新、親米・反米、政府・反政府の立場に関係なく、住民に等しくふりかかる。沖縄に住んでいると日々実感する、この現実を伝えるために、あえて保守系の出版社から日米地位協定の研究書を出したいと、編集者時代の憧れの大先輩に相談した。中央公論新書編集部の白戸直人さんだ。
ベテランの優秀な編集者だけあって、まさかの2週間で企画が通ってしまった。そんなに早く通ると思わなかったので、忘れた頃に書き始めればいいかと思っていたら、明日から書いてくれとすぐにご連絡があり、苦心惨憺しながら半年で書きあげた。
沖縄との縁
恥をしのんで告白すると、私は最初から沖縄や安全保障の研究をしたいと思って、研究者を志したわけではない。
国際政治学の研究者を志して、北海道から東京の大学に進学したはいいが、地元にとどまってほしかった母に仕送りをたびたび止められ、生活費と授業料を稼ぎながら大学院の修士課程に進むも、指導教官から才能がないと言われて放り出された。
仕方なく出版社に就職し、編集業務のかたわら独学で研究を続ける。それで通い出したのが沖縄だ。大田昌秀知事が建てた沖縄県公文書館は、全米の沖縄関係史料を集めており、米国まで行かずに膨大な第一級の公文書を読めるという夢のような場所である。年に2回有給休暇を取り、沖縄県公文書で一日中史料を読みながら、仕事の疲れで睡魔に襲われてはアーキビストに史料を回収されかける、といった生活を5年ほど送った。
最後の1年は、出版社勤務を続けながら博士課程に入った。日本学術振興会特別研究員(DC2)に採用されて退職。ほどなく、夫が沖縄の大学に就職する。共に移り住もうとしたら、博士課程の最初の指導教官が反対した。東京にいないと研究はできないという。
実際には、沖縄の方が研究環境は充実している。沖縄県公文書館があり、県内の各大学図書館が収蔵する文献や資料集も豊富だ。故・宮里政玄先生と我部政明先生が主催され、故・新崎盛暉先生も参加されていた研究会は、刺激に満ちている。
大学院では、指導教官の意に逆らえば学位を取得できないので、しばらく沖縄と東京を往復する生活となった。本来は、博士号取得後の就職できない「ポスドク」期間に備え、DC2の給与を貯金するものだが、移動生活で貯金はあっというまに底をついた。それでも、もし最後に指導教官を変えなければ、学位は取得できなかっただろう。