沖縄で安全保障を研究する意味

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たまたま安保改定の研究へ

最初の指導教官は、「日本のことを研究しないと就職できない」と、博士論文のテーマを日米安全保障条約の改定(安保改定)に指定した。そこで、米海兵隊の沖縄移転など1950年代の米軍再編が、1960年の安保改定にどうつながったか研究した。沖縄で史料収集したことを、なんとか活かしたい一心である。

大量の米政府の公文書をもとに、海兵隊の沖縄移転の経緯を明らかにしたが、東京の学会や研究会では、「学問的な意義が不明」「客観中立的な研究ではない」といわれた。学問の意義とは何か。客観中立性とは何か。もし政府に都合の良いことを論じることならば、それは学問なのか。

実際、安保を支持する研究者が中心となって、安保改定を研究してきた。そのため、「核密約」をのぞいて、安保の負の側面に焦点をあてた研究は少ない。新安保とともに成立した日米地位協定に関して、体系的な研究がほぼないことに気づいたのが、博士論文の最大の収穫だった。

安保改定は、日本が被占領国から脱却して米国と対等な同盟国になった、と評価されてきた。だが日本政府は、日米地位協定と同時に密かに合意議事録を作成し、占領期の米軍の特権―訓練の自由、事件・事故現場での日本側の捜査権放棄など―を、前身の日米行政協定からそのまま受け継いだのだ。この発見が、拙著『日米地位協定』につながっていく。

安保の現場は地方

 拙著は、沖縄に住んでいなければ決して書けなかった。東京に住んでいると、「安全保障は国の専管事項」「日米地位協定の所管は外務省」という発想から抜け出せない。だが、沖縄で日々目にするのは、自治体が国の代わりに住民を守らなければいけない現実である。国が国民を守らない現状で、地方の自治体が住民を代わりに守るため、なけなしの知恵を絞って苦心しなければならない。

だからこそ、沖縄県は大田昌秀県政以来、3度にわたって日米地位協定の見直し案を自ら作成し、国に訴え続けている。さらに、翁長雄志県政と玉城デニー県政は、他国地位協定調査を行い、地位協定の国際比較によって日米地位協定の不平等性を強調している。

勤務する琉球大学(西原町)は、米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)に所属する米軍機の飛行ルートにある。コロナ感染対策で教室の窓を開けて授業をすると、米軍機が大学敷地上空を飛ぶ間、講義の声は聞こえなくなる。センター試験の英語のリスニングの最中に、米軍機が大学上空を飛んだこともある。

日米地位協定には、米軍の訓練に関する規定が存在しない。日米両政府の普天間飛行場騒音軽減措置では、米軍機は学校や病院など「人口稠密地帯」上空の飛行を避けることになっているが、「任務により必要とされる場合」を除くという例外があるため、まったく守られていない。2004年には沖縄国際大学に米軍ヘリが落下・炎上し、2017年には緑ヶ丘保育園と普天間第二小学校に米軍ヘリ部品が落下しても、状況は変わっていない。

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