沖縄で安全保障を研究する意味

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国を批判するなと言った琉球大学

石橋湛山賞授賞式から2週間後、琉球大学本部の広報担当者から受賞のHP紹介を依頼された。「国が国民を守らないので、地方自治体が住民を守るためになけなしの知恵を絞って苦心せねばならない」との、式典スピーチを引用したところ、国への批判的な表現を変えるよう求められる。公の場で発言し、すでに報道された言葉の修正に何の意味があるのか。

菅義偉政権は、日本学術会議の委員6人の任命を拒否した理由を説明しない。説明拒否は忖度を生む。政府が同会議について事実と異なる批判をくり返す中、メディアや識者、一般人にも会議を中傷する者が出ている。琉球大学は米軍から返還された西普天間住宅地区に医学部を移転中であり、国の財政援助を欲して忖度したのか。それとも、政府に付和雷同する者の中傷を恐れたか。

バズフィードが琉球大学から私への要求を記事にし、琉球新報と沖縄タイムスが後追いで報道。私も毎日新聞の「時論フォーラム」という連載で、この事実を取り上げた。大学は1ヶ月後に一転、紹介文原文の掲載を認める。国への忖度として修正を依頼した意図はない、「誰が見ても誤解を与える(生じさせる)ことがない内容とする必要」があったという。

だが、誤解を恐れる必要があるのか。沖縄で研究する意味とは、権力ではなく歴史や事実に対して忠実であることであり、それこそが学問の意義でもあると信じている。

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