5月14日の知事最終判断と、「沖縄復帰」の日に寄せて

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沖縄の「復帰」以来の歴史が映し出すのは、沖縄を迎え入れるに値する立憲主義・民主主義を準備出来なかった、日本の醜態である

沖縄分断政策を進める国の印象操作に欺されず、沖縄に新たな犠牲を押しつけないためには、主権者のマジョリティであるヤマトンチュが、この問題の根本を見定める批判的思考力と、自分の当事者性を意識しながら地道な運動を継続する「国民主権の実践者としての忍耐力」が必須である。

「遺骨土砂問題」は、本質的に人道上の問題であり、左右を問わず問題意識を共有できるはずだ。そのことを地道に発信し続ければ、広汎な市民の連合体を作ることが出来るだろう。そんな連合体が一度出来れば、その繋がりを活かして「遺骨土砂問題」以外の問題についても議論・運動を起こすことが可能だ。

実際、私は故郷の大阪府茨木市で、そのような草の根の民主主義実践の取り組みを始めたばかりだ。具体的には、「戦没者の遺骨が染み込んだ土砂で新基地建設をしないよう国に求める意見書」を、地元市議会で全会一致で採択して貰うための運動をしている。この動きを吹田市・高槻市・豊中市・島本町など、周辺自治体にも広げるための取り組みも既に始まっている。

このように、「遺骨土砂問題」には、多様な社会問題への取り組みを結びつける広汎な運動体を作るための、最初の一歩になりうる可能性があるのである。

1972年5月15日、沖縄は「復帰」を果たした。しかし、その内実は、「立憲主義・民主主義の根付いた戦後日本への復帰」ではなく、「沖縄に構造的差別を強いる植民地主義者・日本への復帰」であった。

昨日には、河野太郎沖縄担当相が沖縄の子どもの貧困率が高い理由の一つとして「若いうちの妊娠が引き金」だと発言したとの報道があった。そのような社会構造を沖縄に押しつけた戦後日本の責任を反省せず、就任以来、沖縄への自己責任論を言い放ち続ける恥知らずな大臣には開いた口が塞がらない(地道な運動を持続させつつ、こうした妄言が飛び出すたびに、適切な批判を集中させる瞬発力も必要だろう)。だが、こんな大臣に「沖縄担当大臣」の座を渡しているのも、主権者である私たち日本国民だ。

畢竟、沖縄の「復帰」以来の歴史が映し出すのは、沖縄を迎え入れるに値する立憲主義・民主主義を準備出来なかった、日本の醜態である。

この問題は「人道上の問題」であり、国際問題化できる。日本国内に救済手段がない状態で問題解決する為には、米国・韓国を中心に、沖縄戦遺族のいる他国への働きかけを強めるべきだとの意見もある。国連の個人通報制度を活用すべき、との提案もある。

勿論、普遍的人道主義の立場から、国際的な運動を構想することも大事だが、外圧だけでこの問題を解決しても、日本社会の構造変革には繋がらないだろう。

民主主義を「押しつけられた」戦後日本が、その営みの市民生活レベルでの定着に失敗してきた歴史的事実を見れば、外圧による問題解決の限界性は明らかだ。同じ過ちは繰り返したくない。

今こそ日本社会を民主化しなければならない。「遺骨土砂問題」に対する持続的な取り組みは、そのための大事な一歩だ。

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