22年間で何が変わったのか
「普天間返還合意」の問題は、「返還」の実質が「移設」であることに尽きる。県内移設なら、沖縄に多くの米軍基地がある状況は何も変わらない、というのが、常に沖縄側の声だった。稲嶺知事も、普天間代替施設の使用期限を15年にするという条件をつけたように、沖縄の基地固定化をなんとか回避しようとしていた。例外は仲井眞知事で、彼だけが普天間飛行場の辺野古移設を認めた。
他方、日本政府の普天間移設に関する方針は、代替施設の県内建設と、普天間飛行場の所属機や訓練、兵力の一部移転の組み合わせで(一時期の鳩山内閣をのぞいて)一貫してきた。日本政府の沖縄政策はこの22年間、何も変わっていないといえよう。
にもかかわらず、22年をへて普天間飛行場の返還が実現しないのは、小泉内閣や鳩山内閣が移設先の見直しを図ったり、小泉内閣、野田内閣、安倍内閣が「沖縄の負担軽減」に関する日米合意を変更したりしたことで、沖縄側の政治的混乱と政府への不信が深まる一方だからである。
加えて、安倍内閣の歴史に対する修正主義的姿勢は、沖縄戦や米軍占領の記憶を持つ少なくない沖縄県民の怒りをかきたてた。
他方で、安倍内閣が、選挙で示される沖縄の民意をかき消すようなタイミングで、辺野古埋め立て工事を進めていることで、県民の批判の矛先が、国から「オール沖縄」へと向きつつあることもまた、否定できない事実になってきている。
しかし、2017年に入って言われるようになった、県が国に対して対決姿勢をとっていることが、普天間移設を停滞させているという議論は事実とはいえない。国と県の対決は、沖縄側が出した普天間移設の条件を、日本政府がいったん了承しては破ってきたことに由来するからである。稲嶺知事は、「軍民共用」や「15年使用期限」などの移設条件を破棄されたことで、新たな移設計画を拒否せざるをえなかった。仲井眞知事が条件にした「5年以内の運用停止」も、米軍の言動で当初から破綻は見えていた。
2018年3月から4月にかけ、県民投票をめぐる見解の相違を理由に、「オール沖縄」から二人の財界代表者が脱退した。さらに、翁長知事は4月10日、すい臓に腫瘍が見つかったため摘出手術を受けることを発表し、秋の知事選出馬への言及を避けた。日本政府の姿勢は何も変わらないまま、沖縄側が変わっていくのか。いま、沖縄は岐路に立っている。