荒唐無稽な「敵基地攻撃」論

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“荒唐無稽”の背景

岸田政権の敵基地攻撃方針に“お墨付き”を与えるための「有識者会議」が11月下旬に報告書を提出したが、肝心の敵基地攻撃論については「反撃能力の保有と増強が抑止力の維持・向上のために不可欠だ」とわずか1行書かれているだけで、なぜ「不可欠」なのかという論証は皆無である。戦後の防衛政策を大きく転換させ巨額の税金を投じる以上は、国民の理解を得るためにも丁寧で説得的な説明がそれこそ「不可欠」のはずにもかかわらず、余りにも杜撰と言う以外にない。あるいは論証不能ということであろうか。

この報告書で興味深いのは、米国による拡大抑止の信頼性の向上に加え、日米間の「共同対処能力」の強化が謳われていることである。つまり、敵基地攻撃論は日米「共同対処」の枠組みにおいて構想されているのである。この前提にあるのは、バイデン政権のように関係諸国との同盟関係を固め中国包囲網の構築に余念がない政権が米国において継続する、という認識であろう。しかし、仮に2年後にトランプ元大統領が、あるいは彼のような人物が大統領に選出されるならば、いかなる事態が生じるであろうか。人権や民主主義といった価値観とは無縁で、同盟関係を重視せず、ひたすら「米国第一主義」を掲げる政権が再び米国に誕生するならば、敵基地攻撃をめぐる議論の前提が崩れ去るであろう。何より、台湾や日本のために米軍人の血を流すといった選択肢はあり得ないはずである。とすれば、台湾と日本の二国で中国と戦うという構図になるのであろうか。

 以上のように見てくるならば、敵基地攻撃論は余りにも組み立てが粗雑で荒唐無稽と言わざるを得ない。それでは、なぜこうした事態に陥ったのであろうか。それは、そもそもの議論の展開が2020年6月のイージス・アショアの破綻から始まっているからである。この破綻は、早い段階から関係者において性能への根本的な疑問が広く認識されていたにもかかわらず、トランプによる高額の米国製兵器の購入拡大を求められた安倍晋三元首相が現場の声を無視して政治主導で購入を決めたという、無責任外交の当然の結果であった。ところが、この破綻を受けて20年9月に安倍氏が打ち出したのが、ミサイルを阻止するための「新たな方向性」としての敵基地攻撃論であった。つまり、自らの大失態をタカ派の言説で覆い隠そうとしたのである。これまた、究極の無責任と言わざるを得ないが、こうした無責任さによって日本の安全保障の今後が大きく歪められることは、まさに悲劇そのものである。

ところで先述の自民党の「提言」はイージス・アショアの破綻を受けて、「ミサイル技術の急速な変化・進化により迎撃は困難となってきており、迎撃のみではわが国を防衛しきれない恐れがある」との認識を披瀝している。それでは、日本の防衛力の“脆弱性”を政権党が内外に公言しているときに、なぜ相手側は攻撃してこないのであろうか。なぜ、この絶好の機会を活かそうとしないのであろうか。そもそも相手側に攻撃する意図がないのであろうか。このように問い詰めていくと、今日の軍事論の深刻な陥穽が明らかとなってくる。

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