荒唐無稽な「敵基地攻撃」論

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「東アジアSDGsセンター」の設置を

今やSDGsについては様々な問題を孕みながらも官民をあげた取り組みが進められているが、米軍による環境破壊に直面する沖縄県はSDGsを県政の最重要課題に据えている。とすれば、視野を東アジア全域に広げ、沖縄に「東アジアSDGsセンター」を設置する、というような方向性を打ち出せるのではなかろうか。ここに、周辺諸国の自治体やNGO、研究者、市民、さらには国連関係者などが結集し、東アジアという大きな枠組においていかにSDGsを推し進めていくかを議論し、その輪を拡大していくことを通して信頼醸成の土台を築いていく、こうした展望を描くことができるのではなかろうか。

ここにおいて着目すべきは、先に述べた国連の「軍縮アジェンダ」が、SDGsを追求するには「軍縮という目標を実現していくことが不可欠である」と強調していることである。たしかに、世界中で天文学的な巨費が軍事に投じられている現状では、SDGsの17の目標を達成することなど夢物語であろう。だからこそ、欧州の投資家のなかには、売上高の5%以上を軍需関連が占める企業には投資をしない、といった取り組みもなされてきた。

 しかし、ストックホルム国際平和研究所によれば、2021年度の世界の軍事費総額は2兆1130億ドル(1ドル145円換算で約306兆円)と、初めて2兆ドルを突破したという。今回のウクライナ戦争を受けて、22年度の軍事費がどこまで膨れあがるか、想像を越えるものがある。さらには、軍事への投資こそが侵略を抑え「持続可能な社会」を保障するものだ、といった論調が強まるかも知れない。こうなれば、SDGsは文字通り“死に体”となろう。

 今やまさに、決定的な分岐点である。右のような論調が勝つか、あるいは、軍拡と戦争がいかに愚かで人類と地球の破滅をもたらすことになるという主張が勝つか、鍵は国際世論の動向にかかっている。そうであれば、SDGsの実現と「軍縮アジェンダ」を結合させる方向で新たな国際秩序を再構築していくといった大胆な構想も提起されるべきであろう。かくして、以上のような文脈において、沖縄に設置される「東アジアSDGsセンター」は、東アジア全域の軍縮の拠点となることが展望されるのである。

もちろん、こうしたセンターを設置し運営をしていくためには当然のことながら財政上の問題が生じるであろうが、沖縄県の財政に依存する問題ではなく、本土を含め国の内外にクラウド・ファンディングを呼びかけるならば、沖縄を「SDGsと軍縮の拠点にしていく」という訴えは反響を呼び、大きなうねりとなることが期待されるであろう。

旧ソ連が歩んだ道

際限ない軍拡競争を止めるためには、国際社会においていずれかの主体が軍拡の動きを軍縮に向けて逆回転させる方向に踏みださねばならない。本来であれば、防衛費GDP1%、専守防衛、兵器輸出の規制といった枠組みをとにかくも維持してきた日本が主導せねばならないはずである。しかし全く逆の軍備拡張に邁進している現状を見るならば、再び戦場となる犠牲を負わされようとしている沖縄が東アジアの信頼醸成に向けて「独自外交」を展開し、軍縮への流れをつくりだすことが期待される。

本土の国会では野党の多くも、敵基地攻撃能力の保持や歴史的な防衛費の増額に支持を表明している。しかし、この路線の行き着く先にいかなる展望が開かれるのか、何一つ語られることはない。例えば、防衛省は音速の5倍以上のスピードで変則軌道を飛ぶミサイル「極超音速誘導弾」を今後10年ばかりをかけて開発配備する検討に入った、と報じられている。こうした「反撃手段」を確保することによって中国などへの抑止力を向上させる、という構想である。しかし、数兆円も要するというこうした構想の根本的な誤りは、今後の10年間において相手側が現状のままに止まっているであろう、と想定していることである。まず間違いなく断言できることは、日本が「極超音速ミサイル」を開発した段階においては、相手側は「極極」超音速ミサイルを実戦配備しているであろう、ということである。つまり、新たな兵器の開発をどこまで進めても抑止にはなりえず逆に危機が増幅され、結局のところ軍需産業だけが肥え太るのである。まさに愚行の極致である。

国連「軍縮アジェンダ」の表紙を飾るのはヒロシマを象徴する「平和の折り鶴」である。この原点にたつならば、日本こそ馬鹿げた軍拡競争から率先しで離脱すべきである。さもなければ、すでに先進国でも最悪の財政危機にある現状を見るとき、旧ソ連のように、軍拡によって経済が破産し国家が破綻する道に陥るであろう。

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