荒唐無稽な「敵基地攻撃」論

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「尖閣問題」とは何か

政権の側に軍事化のみを推し進め国民保護、島民保護の視点が根本的に欠落しているのであれば、犠牲を強いられる側は戦場となる最悪事態を避けるために、あらゆる手段を駆使して「戦争回避」の道を探らねばならない。まずは、日中間の緊張を緩和する方向に踏み出さねばならないが、焦点は言うまでもなく尖閣問題である。

そもそも、丸裸で防備困難な尖閣を中国が奪取する軍事的な意味合いがどこにあるのかという問題は別として、改めて尖閣問題とは何かを問い直すならば、それは沖縄が1972年に日本に返還される際に米国が尖閣の主権のありかについて「中立」の立場を打ち出したことに根源がある。つまり、尖閣がどこの国に帰属するのか不明確という立場をとった結果、そこを中国が突いてきているのである。ところが日本政府は、こうした無責任きわまりない米国の立場を変更するように公的な申し入れを行ったことは一度もない。とすれば、事実上その立場を黙認している訳であるから、尖閣の主権のありかについては「棚上げ」をして、中国や台湾などとの間で、危機管理にむけて早急に協議を開始すべきである。

そもそも尖閣が政治問題として先鋭化した契機は、2012年4月に当時の石原慎太郎・東京都知事がワシントンのタカ派のシンクタンクにおける講演で、尖閣諸島を都が「買い上げる」との方針を打ち出したことにあった。本来ならば石原氏は、なぜ米国は尖閣を「日本固有の領土」として認めないのか、なぜ久場島や大正島を米軍管理下に置いたままで日本人の立ち入りを認めないのか、と厳しく抗議すべきであった。しかし彼の矛先は中国に向けられ、米国側も認めたように中国を「挑発」するところに主眼があった。つまり、尖閣をめぐって日中間で「軍事紛争」を引き起こし、そこに米軍が「踏み込んでこざるを得なくなる」ような状況をつくりだすことに大きな狙いがあった。まさに「挑発者」そのものであり、野田政権による「尖閣国有化」を経て日中間の対立が激化するに至った。

冷静に振り返るならば、実は1960年代の末まで日本人の大半は尖閣諸島の存在など全く知らず、ましてや「日本固有の領土」などという認識さえなかった。とすれば、こうした無人島をめぐって戦争するなどという愚をおかさないために、以上の経緯からしても「領土問題」として対処するという方向に踏み切り、危機管理と緊張緩和に向かうべきである。ちなみに、2012年に上梓した拙著『「尖閣問題」とは何か』(岩波現代文庫)は2019年に台湾で翻訳出版されたが、その際のタイトルは『美國主導下的尖閣問題』であり、まさに問題の本質を抉りだすものであった。

ところで、日中関係についてこの間の経緯を振り返るならば、2018年10月には当時の安倍首相が訪中して習近平氏との間で、先端技術をめぐる協力対話の枠組創設、ガス田開発協議の早期再開、海空連絡メカニズムの防衛当局会合の開催などで基本合意に達し、「競争から協調」への新段階に向かうことが確認された。さらに、2020年の春には習近平氏が国賓として来日し天皇陛下とも会見するという日程が固められた。結局、コロナの蔓延で来日は延期されたが、当時の安倍政権は習来日に忖度をして中国人観光客の渡航制限を遅らせ、このため日本国内でコロナ禍が拡大する結果を招くこととなった。言うまでもなく、こうした日中関係の改善に向けた動きが展開されていた時期には、すでにウイグルもチベットも香港も台湾も尖閣の問題も深刻さの度合いを深めていた。さらに、習近平氏に対する「個人崇拝」の動きも加速していた。とすれば、今日においても「協調」の可能性を探ることができるはずである。

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