荒唐無稽な「敵基地攻撃」論

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「軍民分離」の原則

「台湾有事」が喧伝されるなかで、南西諸島の軍事強化が急激に進みつつある。11月中旬には、沖縄本島から与那国島までを実戦場とする初の日米共同統合演習「キーン・ソード23」が展開されたが、こうした演習は明らかに南西諸島全域が戦場となることを想定したものである。

 沖縄をめぐる深刻な情勢展開を踏まえつつ、筆者は本年2月1日付けの『琉球新報』に小文「崩壊した「普天間問題」の構図」を掲載した。そこで強調したことは、普天間の危険性とは何か、という問題である。つまり普天間問題とは、米軍の低空飛行や機体の墜落などの危険性を除去するために辺野古に新たな基地を建設しそこに普天間を移すという工事をめぐる問題であり、こうした危険性がなお深刻であることは間違いがない。しかし、直面するより大きな危険性とは、普天間が攻撃目標に設定されミサイル攻撃を受けるという危険性に他ならない。とすれば、切迫するこの危険性を除去する上で、辺野古の工事等はいかなる意味も有しないのである。つまり今や、政権側が喧伝してきた普天間問題の構図は崩壊したのであり、すべてはここから再構築されねばならない。

このように情勢が緊迫の度を深めていくほどに、正面から論じられるべきは国民保護の問題である。南西諸島にあっては、いかに島民の避難を確保するか、その体制作りが喫緊の課題のはずである。しかし、軍事化が急ピッチで進められているにもかかわらず、島民保護の具体策は何ら取り組まれていない。なぜなら、2004年に国民保護法が定められたが、安倍政権のもとで2013年にまとめられた現行の国家安全保障戦略には、そもそも国民保護の視点は皆無だからである。

 筆者は昨年6月21日の『オキロン』に「沖縄の戦場化と国民保護法」を上梓したが、そこで着目したのが、自衛隊の研究本部総合研究部に属する横尾和久の研究である。彼は、太平洋戦争史において日本人住民を抱えたまま離島防衛作戦が初めて行われたマリアナ戦史を分析対象に据えるのであるが、それはサイパン、テニアン、グアム島で約3万6千人が「日本近代史上初の、地上戦下の島内避難」を余儀なくされ、残留邦人のおよそ4割から5割の人々が戦闘の巻き添えで犠牲となったからである。この悲惨な歴史から横尾が引き出した教訓は、「軍と民の混在防止」「部隊と住民の分離の徹底」に他ならない。(「マリアナ戦史に見る離島住民の安全確保についての考察」『陸戦研究』2015年12月号)つまり、「軍民分離の原則」の徹底こそが、島民保護の大前提に据えられねばならないのである。

言うまでもなく、この原則とは真逆の選択がなされた沖縄戦ではさらに悲劇的な結果が招来されたのであったが、恐るべきは、今日の政権が同じ歴史的な過ちを繰り返して南西諸島の住民に犠牲を負わせようとしていることである。今の段階になって政権側は先島諸島などでシェルターの構築に乗りだそうとしているが、「軍民分離の原則」に照らすならば、まさに論外と言う以外にない。

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