沖縄と本土の溝
ここで重要なことは、辺野古移設に反対する翁長が本土の政治勢力と連携しようにも、自民党をはじめ大多数の政党は辺野古移設推進の立場にあり、連携できるのはいまのところ議会少数派の共産党や社民党だけだということである。しかも沖縄側が基地問題を本土側に訴えても、その反応はかつてないほどに弱まっている。つまり、本土と沖縄における強固な政党間連携も、また同じ日本国民としての共感や連帯も、いまではその基盤自体が揺らぎはじめているのである。
いや揺らぎはじめているばかりか、逆に本土と沖縄の離間を促すような役割を、ナショナリズムとイデオロギーが担いはじめている。例えば、沖縄と本土のそれぞれから、互いを区別するようなナショナリズムが台頭してきていることや、左右のイデオロギー的なレッテル張りが強まっていることなどは、その一例である
溝を克服するためには
ではこうした政治状況を踏まえて私たちは何を考えていかなければいけないのか。現在の沖縄と本土の溝を克服するために、私たちは両者を包摂する新しいナショナリズムを構築すべきなのか。あるいは両者をつなぐ新しいイデオロギーを創造し、その担い手を見出すべきなのか。いやナショナリズムでもイデオロギーでもなく、今後は「本土と沖縄」あるいは「中央と地方」といった垂直的な枠組みだけで考えるのではなく、水平的な地域間連携を創造的に発展させながら、この溝を越えていくべきなのか。それとも「大きな物語」が終焉したとも言われる今日において、別の道を探るべきなのか。
これらの問いは、沖縄と本土が新しく連携できる基盤は何かという問いであると同時に、これからの日本の国家像をどう構想するか、という問題にもかかわるものである。
また同時に考えるべきは、こうした溝をつくりだしてしまった戦後日本の安全保障体制をどう克服するか、つまり前回の論考で述べたように沖縄の過重な基地負担の上に乗った同体制をどう再構築するか、ということである。
いま試されているのは、私たちの知的構想力そのものである。