辺野古とカジノが置き土産?
こうしてみれば今回の県知事選挙は、政権側の強引な対応によってこじれてしまった普天間・辺野古問題を本来の軌道に載せる好機だといえる。本来の軌道とは、政府と県が十分な協議を通じてどのようなものであれば沖縄にも受け入れ可能なのかを探り出す作業である。それが本来、政治が果たすべき役割なのである。
大規模な金融緩和からの出口の難しさを考えれば、安倍政権の看板政策である「アベノミクス」が、負の遺産としてはともかく、肯定的な意味で歴史に残ることはないだろう。日露交渉も拉致問題も行き詰まり、憲法改正も「言っただけ」で後を継ぐ後継者も見当たらない。荒涼たる光景の中で、沖縄の抵抗を押し切って辺野古新基地を建設することが、安倍政権の代表的な「実績」になるのだろうか(もっとも、現政権のうちに新基地が完成することはあり得ないのだが)。
多くの問題点が指摘される中で強引に成立させたという点では、先日のカジノ法案も思い起こされる。「辺野古とカジノが置き土産」などと揶揄されては、安倍首相もいたたまれないであろう。
岸信介、佐藤栄作、そして安倍晋三
安倍首相が敬愛してやまない祖父・岸信介の代表的な業績といえば日米安保改定(1960年)である。安保改定といえば、なんといっても戦後最大の抗議運動が耳目をひくが、改定された条約の内容自体は、在日米軍の出動に関わる事前協議制度の導入など、日米をより対等な関係に近づけるものであった。また、岸は「両岸」と揶揄されたように、イデオロギーや立場を越えて気脈を通じる老練さと奥深さを備えていた。
そして岸の弟、すなわち安倍首相の大叔父にあたる佐藤栄作は、沖縄返還を悲願として、その実現に政治生命をかけた。戦後の首相として初めて沖縄を訪れた際(1965年)、佐藤が那覇空港で述べた「沖縄が本土から分かれて20年、私たち国民は沖縄90万のみなさんのことを片時たりとも忘れたことはありません」「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後が終わっていないことをよく承知しております」というスピーチは、戦後政治史を代表する演説であった。
その血脈を継ぎ、保守を掲げる安倍首相である。保守の根幹とは、歴史と国民統合である。引くに引けなくなった官房長官と一蓮托生となってアメリカの一基地の返還・移設をここまで政治化し、一部における沖縄ヘイトの風潮まで生み出してしまったことについて、安倍首相は、内心では不本意なのではなかろうか。しかし、仮にそうであったとしても、この政権下での施策はすべて、安倍首相の名前で歴史に刻まれる。
今からでも遅くはない。知事選後という好機に、普天間・辺野古問題を本来の軌道に載せるべく、指導力を発揮して欲しい。このままではいずれ天上で祖父や大叔父に対面したとき、彼らがなした政治的営為に、深く傷をつける軽率な政治であったと白眼視されるのではないか。だから本稿【上】の冒頭のように思うのである。「本当にそれでいいのですか?」