シーガーアブ(「有川中将以下将兵自決の壕」としても知られる)や魂魄の塔に隣接する熊野鉱山には立入禁止の立て札が設置され、ロープが張られていた。
草ぼうぼうで、作業中の重機も見当たらず、誰かに教えて貰わない限り、辺野古新基地建設のための採掘が行われる鉱山だとは判らない。ただ、熊野鉱山の開発業者である沖縄土石工業は、土砂搬出道路を通すための農地一時転用を申請しており、沖縄県の審査が済めばいよいよ鉱山開発が始まろうとしている。人目には判らない形で遺骨土砂の搬出に向けた準備が進められている。
ちなみにこの場所は元々は原生林で、具志堅さんが遺骨収集に通っていた場所だった。しかし、2020年10月末、採石場にするというので磁気探査や木々の伐採が始まり、今は一部だけ低木しか生えていない様相を呈している(開発が始まった直後は草しか生えていなかったそうだが、工事の着工が遅れている内に低木が生えてきたそう)。具志堅さんが採石場工事が始まる直前に遺骨収集された際には、伐採された区画の左端から遺骨が見つかったそうだ。那覇空港滑走路建設といった大きな埋め立て工事が一段落した後になって新たに計画された鉱山開発。少なくとも熊野鉱山に関しては、沖縄島南部から辺野古埋め立て土砂を確保しようと計画した国の需要が生み出した開発事業だと言って良いのではないだろうか(沖縄土石工業の永山盛也社長もQABのインタビューの中で、辺野古新基地建設を進めることが一番大切だと語っている)。
沖縄土石工業は、シーガーアブの上に土砂搬出道路を通す計画だ。しかし、もしダンプトラックが壕の上を通るとなると、貴重な戦争遺跡であるシーガーアブは崩落してしまう恐れがある。慰霊塔の横を基地建設のための土砂を積んだ車が走ると想像するだけでもおぞましく感じられるが、万一シーガーアブが崩落すれば、その中に眠る戦没者は死してなお再び犠牲にされるようなものであるし、戦争の惨禍を語り継ぐ場所が奪われることになる。
具志堅さんの話では、魂魄の塔周辺は戦後住民による遺骨収集がされたものの、遺骨の余りの多さに頭蓋骨だけを収容し、それ以外の骨は残されたままになっている場合も多いとのことだ。素人目には草むらにしか見えない場所でも、足元に戦争遺跡や戦没者の遺骨が眠っている「霊域」なのだ。こうした場所をどのように残していくかは、沖縄県のみならず、日本が戦争の記憶をどのように継承するかに関わる問題だ。