平時と戦時をつなぐ回路

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6月23日の「慰霊の日」に沖縄県糸満市の平和祈念公園で行われた沖縄全戦没者追悼式で、浦添市立港川中学校3年の相良倫子さんが読み上げた自作の「平和の詩」が反響を呼んでいる。「生きる」というタイトルの詩の内容にとどまらず、相良さんの凛としたたたずまいと、朗読の力強さに引き込まれた人は例年にも増して多かったようだ。

沖縄戦の激戦地となった1945年の摩文仁の丘の阿鼻叫喚と、平和を誓う厳粛な祈りの空間として緑に覆われた現在の摩文仁の丘が、時空を超えて重なり合う。そんな、頭がくらくらするようなイメージを焼き付ける、相良さんの表現力に圧倒された。

 

「社会の空気」の変容

 

沖縄戦に動員された「ひめゆり学徒隊」の体験を伝える「ひめゆり平和祈念資料館」発行の『資料館だより』(60)が、証言員として活動した元学徒30人を一堂に紹介している。それぞれの人生の重みに打たれながらも、強く認識させられるのは物故者の多さだ。体験者の生の証言に依存せずに「沖縄戦の実相」は継承できるのか。「社会の空気」は確実に変容している。

沖縄国際大学の田場裕規准教授は『沖縄タイムス』(517日付)で、「ある勉強会」でのエピソードを明かす。

60代の男性が「ひめゆり学徒隊の方が、自分たちの経験(手術で切り落とした腕の処理等)を理由に、戦争はいけないと言うのはおかしい」「国家が緊急事態ならば、女や子どもが遺体処理を手伝うのは当然だ」と発言した。

田場が「自分の子どもや孫がそのような仕事に従事することも、当然と考えるのか」とただすと、男性は「そのようなヒューマニズムはこりごりだ」と返したという。

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