平時と戦時をつなぐ回路

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沖縄の「捨て石」はまだ続いているのか

 

沖縄では、戦後70年以上がたっても、沖縄戦の記憶が現在進行形で沖縄戦体験者を苦しめ、人生を振り返るゆとりができる60歳を過ぎて突然発症する例が目立つという。

雷や花火の音を聞いても戦時中のことを思い出して眠れない。掃除機の音は、上空から急降下してくる戦闘機の音を連想させるので、怖くて使えない。花火が怖い、ジェット機の音が嫌い。壕の中で爆発した火薬の匂いを連想するので、マッチをすることができない。梅雨時になると、壕の匂いやカビ臭さを思い出す。収容所で米軍が与えたカルキの強い水を連想するので、塩素系の漂白剤は使えない…。

「戦争」が遠くになればなるほど、深く本質を問わなければ忘却は進む。大上段に「国家」や「政治」の観点からのみ捉えるのではなく、自分なら戦場でどう振る舞うか、とベクトルを我が身に向けることが、リアルな戦争に向き合う一歩になるのかもしれない。

『沖縄平和論のアジェンダ』(星野英一・島袋純・高良鉄美・阿部小涼・里井洋一・山口剛史著、法律文化社)で里井洋一は、沖縄の平和教育史をひもとく。63年の討議記録からは、戦争責任に向き合う教員たちの葛藤が鮮烈に浮かぶ。

「『ひめゆり部隊』『健児隊』の悲劇も、ただ悲劇としてのみ受けとられ、教育の問題として教師の胸を切りさいなまなかったがために、いつのまにか、ロマンチックに潤色されてしまったのではないだろうか?」「このわれわれの先輩たちの死をただ『悲劇』として美化しつつ、そのかげで自分たちの胸をなでおろしつつ念仏のように『平和』をくり返している人びとは、もう教壇から去ったのだろうか?

容赦ない指弾は、身内の沖縄教育界のみに向けられたものではないだろう。

前出の川満は、辺野古新基地建設や先島への自衛隊配備を進める現在の防衛政策に言及し、こんな問いを投げる。

「沖縄の『捨て石』は、まだ続いているのだろうか」

本土の側でこそ、沖縄戦の実相を刻まなければならない。

【本稿は2018630日付毎日新聞「沖縄論壇時評」を加筆修正しました】

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