4人に1人が投票できない!?「辺野古」県民投票

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政治不信に支配される若者が怒るとき

 

住民の意志で決まった県民投票の機会を住民に与えないという、石垣市、宜野湾市、うるま市の各議会の今回の非民主主義的な決定は、地元政治の論理によるものではないだろう。そこには、安倍内閣や自民党の意志が濃厚に反映されている。

地方自治の象徴である県民投票に、国家権力が介入する現状を目の当たりにして、もともと「県民投票をやっても何も変わらない」という見方が強かった10代、20代の県内の若者たちは、どのような反応をしただろうか。

私は宜野湾市近隣の二つの大学で教鞭をとっているが、宜野湾市議会が反対意見書を可決したとき、学生の何人かがめずらしく不快感をあらわにした。県民投票は意味がないという言う学生が、投票の権利を奪われることには怒りを示したのだ。市議会のボイコットは、彼らにとってもさすがにやりすぎだった。

学生にとって、民主主義はもはや当たり前の権利であって、勝ち取るという感覚はない。その一方で、当たり前の権利を奪われることには、極めて敏感なのだ。

真のポピュリズムに活路を

 

私は、ここにデニー県政の活路があると思う。

ポピュリズムという言葉は多義的だが、政治の指導者が、既存の制度を乗り越えて市民と直接つながることで、政治を動かすことを意味することもある。とすれば、いまこそポピュリズムに活路を求めるときではないか。たとえば、市町村の県民投票ボイコットに対して、デニー県政が県民に直接訴え、幅広い市民から市町村議会に働きかけさせることで、ボイコットを覆していけないか。

11月25日に「辺野古」県民投票の会が主催したシンポジウムでは、県内の大学生たちが、維新の会、社大党・社会党・結の会連合、会派おきなわ、共産党の議員たちに質問する場がもうけられた。やりとりの後、学生の一人はこう言った。「政治はしがらみが多くて、議員の方は動けない。自分のような人間は、身軽だからこそできることがある。」

※本稿は、拙稿「沖縄県民投票の“主役”は誰なのか?」(『WEBRONZA―朝日新聞の言論サイト』2018年12月11日付掲載)の抜粋である。

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