「使えない辺野古」がなぜ「唯一の解決策」なのか

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 引き継がれた掛け違えのボタン

 

小川案の中身はどうなのか。

最優先すべきは「普天間飛行場の閉鎖による危険の除去」との認識から、2段階に分けて整備を図る構想だ。24機のオスプレイを始めとする普天間所属機の仮移駐先として、小川氏はキャンプ・シュワブの陸域を想定。仮移駐先の用地は2日間で更地にし、基本的な航空施設を1カ月以内に整備する。自衛隊は日米共同の転地訓練でこうした能力を保持しているという。仮移駐先にはその後、1年半以内をめどに段階的に2000m級滑走路を建設する。

WTのヒアリングで小川氏はこう説明したという。

「軍事的合理性などを加味すると、ハンセンの陸上案以外にはありません。東日本大震災後は特に、津波と高潮の課題が重視されています。辺野古はそういう面からもNG。沖縄県内で50メートル以上の標高に用地を確保できるのはハンセンだけです」

小川氏が普天間問題の当事者と自認するのには理由がある。橋本、小渕、小泉、鳩山政権で公式・非公式を含め普天間問題に関して助言を求められ、地元沖縄だけでなく米側との交渉にも当たってきた、との自負があるからだ。

 小川氏が最初にハンセン陸上案を政府に提言したのは19966月だという。日米が普天間返還合意した2カ月後だ。小川氏は当時、自民党総務会長の塩川正十郎氏に沖縄問題への対応のアドバイスを求められ、描いたばかりの「ハンセン陸上案」を説明した。

 「塩ジイは、これで解決できるなあって言ってくれて、梶山(静六)のところへ行こうと言われて、議員会館の梶山事務所へ連れていかれた」(小川氏)。

しかし、梶山官房長官は小川氏に名刺すら渡さず、話を聴こうともせず、こう告げた。

 「岡本行夫に評論家なんてやめて泥をかぶれと言ってんだ」

 北米局北米第一課長などを務めた岡本氏は91年に突如外務省を去り、国際コンサルタント会社を設立。95年に沖縄で起きた3米兵による少女暴行事件を機に、「沖縄問題」が橋本内閣の最重要課題に浮上する中、梶山氏の知遇を得ていた岡本氏が「密使」として沖縄とのパイプ構築に尽力していた。岡本氏は後に、名護市長を「辺野古移設」受け入れ容認に導く上で主要な役割を果たす。

 小川氏はこう言う。

 「梶山さんはボタンを掛け間違えた。辺野古移設の流れは、そのまま梶山さんを師と仰ぐ、今の菅(義偉)官房長官に引き継がれたのです」

 ハンセン陸上案は、9612月のSACO(日米特別行動委員会)最終報告の段階で検討対象から除外されている。「演習場の真ん中に滑走路を造れば、演習ができなくなる」との米軍内部の反発が理由だという。これについて小川氏は「米側に否定されたのは防衛省が出した案でナンセンスな代物だった」と言う。小川氏のハンセン陸上案は別物だからだ。小川氏は、最適な代替地はキャンプ・ハンセンのチム飛行場跡地だという。チム飛行場は米海軍が45年の沖縄占領直前、日本本土爆撃の拠点とするため10日間で設営。戦後すぐに不要になり、跡地には米海兵隊の隊舎が建設されている。

 「キャンプ・ハンセン南端の、この場所であれば訓練に支障は生じません。両端を延ばせば、普天間と同規模の2500メートル以上の滑走路建設も可能です」(小川氏)

小川氏は、米国のゼネコンが同規模の軍用飛行場を1年半の工期で建設した資料を米政府に提示したこともあるという。

  公明党WT201611月、提言書の提出時期を当初予定していた「16年内」から「17年春」に変更すると発表。その後、175月に提言をまとめ、「普天間飛行場の5年以内の運用停止」などを政府に申し入れたが、結局、「辺野古見直し」には言及しなかった。公明党は182月にWTを再始動したが、同年8月に政府に申し入れた提言は「日米地位協定の改定案」に限定されている。公明党WTが一時検討したとみられる「辺野古見直し」は、文字通り「幻」となった。

 小川氏が提示したハンセン陸上案も「県内移設」に変わりはなく、沖縄側の反発は大きいことが予想される。ただ、既存基地内に収まる具体案が選択肢から外される一方、軍事的要件を満たさない辺野古への「新基地建設」に流れていった経緯は不可解と言わざるを得ない。

  沖縄県の玉城デニー知事は、日米当局で構成するSACOに沖縄県を加えた、「SACO with沖縄」(SACWO)という新たな枠組みの中で「辺野古見直し」の協議に取り組むよう政府に提案している。沖縄の人たちが抱く最大の不信は、「沖縄県外」への移設はどれだけ真剣に議論され、それはどのような経緯と理由で排除されたのか、という点だろう。普天間飛行場の返還とともに、代替施設の建設場所を「沖縄本島東海岸沖」と明記したSACOの再検証は必須だ。

【本稿は2017418日公開の『BUSINESS INSIDER JAPAN』の記事を再構成しました】 https://www.businessinsider.jp/post-19525

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