地位協定の改定に踏み込まなかったのはなぜか
この運用改善策の評価はひとまず脇に置いて、我々が今の時点で考えなければならないのは、そもそもなぜ日本側が地位協定の改定にまで踏み込まなかったのか、あるいは踏み込めなかったのか、という問題である。
これについて河野外務大臣を補佐した北米局長の折田は、当時を振り返って次のように述べている。「地位協定は安保条約と不可分の一体ですから、そうするとアメリカから言わせると、それ(地位協定)は不公平な部分はあるけれども、そもそも(安保条約で)防衛義務が日本にはないのが最大の不公平だと。そういうところまで議論が行ったら、ぐしゃぐしゃになってしまって、……これは泥沼だと(思った)」(同インタビュー、括弧は筆者による補足)。
つまり、地位協定の改定にまで手をつけると、より根本的な安保条約のもつ非対称性の問題にまで議論が進み、日米関係が根底から揺らいでしまうことを、折田らは懸念したのである。もう少し詳しく言えば、日本側が地位協定は不公平だと言って様々な要求を突きつければ、米側は逆に「最大の不公平」、すなわち日本にはアメリカを守る義務はないが、アメリカには日本を守る義務があるという安保条約のもつ根本的な問題を持ち出してきて、日米関係が「ぐしゃぐしゃ」になることを恐れたのである。
いずれにしても、外務省の折田の挙げた理由は、地位協定の改定を日本側から提起しえない理由の1つであるが、しかしそれがより根源的な理由であることだけは、確かである。
根本的な問題と向き合う必要性
オキロンで私が何度か述べたように、日米安保条約の本質は「物と人との協力」にある。しかし、日本側が「物」を提供する、すなわち基地をアメリカに提供することと、アメリカが日本に「人」を提供する、すなわちトランプの言うように「命と財産をかけて」日本を「守る」こととは、そもそも次元が異なるのである。そのことの意味を、日本の責任者たちは十分に理解していたわけである。
米軍基地の国外移転を日本側が言い出せない理由だけではなく(「なぜ米軍基地の国外移転は進まないのか」https://okiron.net/archives/672)、地位協定の改定を提起できない理由の1つにも、この安保条約のもつ非対称性の問題が横たわっていることを考えれば、われわれはやはり日米関係につきまとうこの本源的な問題から目を逸らしてはならないであろう。
したがって、日本国憲法を改正して集団的自衛権を全面的に認め、日本とアメリカが互いに守りあう関係を築いていくのか、それとも別の道を模索するのか、といった根本的な問題を正面から考えていくことが(「基地問題解決の方向性を考える」https://okiron.net/archives/1109)、いま、何よりも必要ではないだろうか。