沖縄の問題から日本全体の問題へ
第2は、この沖縄側の提起した問題を本土側が受け止めて、日本全体の問題として認識されたということである。つまり、本土メディアにおいても問題が大きく報じられるとともに、日本政治の大きな課題となり、国会等でも大きく取り上げられたということである。しかも重要なことは、与野党間でその主張に様々な違いはあったものの、沖縄側の要求に理解を示し、基本的な方向では一致していた、ということである。
例えば、50年代の軍用地問題に関しては、野党の社会党などが政府・自民党の消極的な対応を批判することはあったにせよ、沖縄側が強く求めていた一括払い政策の廃止を両者ともに課題とした。また60年代の沖縄返還問題に関しても、日米安保や米軍基地へのスタンスで各党間に大きな違いはあったものの、沖縄側が強く望んでいた日本復帰そのものに関しては各党一致しており、その実現に取り組んだのである。さらに90年代の基地の整理縮小問題に関しては、そもそも自社連立政権がこの課題に取り組んだのであった。
日米関係の問題になるためには
第3は、沖縄をめぐる問題がこのように日本全体の問題となるなかで、日本政府が対米交渉に乗り出した、ということである。ここに至って同問題は日米関係の問題にまで発展していったのである。
そして第4は、日本政府から問題提起を受けたアメリカ側が、沖縄の政治状況に危機感を抱くと同時に、日米関係にも悪影響を及ぼすものだと判断し、問題の解決に向けて動き出したということである。つまり、問題をそのまま放置すれば日米関係が悪化するとの判断のもと、アメリカは50年代は一括払い政策の廃止に応じ、また60年代は日本への施政権返還を認め、さらに90年代は普天間基地の返還を含む基地の大規模返還を約束したのである。もちろん、その前提にはアメリカが日米関係を重視していたことがあったのは、いうまでもない。
以上のことから考えると、日米の交渉次元の話は別にして、そもそもアメリカを動かすためには第2と第3の点、すなわち沖縄をめぐる問題が日本全体の問題となることと、それを背景に日本政府がアメリカ政府に問題を提起することの2つが必要だということである。逆にいえば、沖縄をめぐる問題が本土に波及して日本全体の大きな問題にまで高まらないかぎり、またこれを受けて日本政府がアメリカ側に問題を提起しないかぎり、アメリカはみずから動くことはないのである(日本側に先んじて内部検討をはじめたり、日本側に何か示唆することはあったにしても)。